Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

川崎の歴史~市民活動、オールドカマー、ニューカマー、 外国人以外の包摂に立ち返る

 
川崎の歴史~市民活動、オールドカマー、ニューカマー、 外国人以外の包摂に立ち返る

川崎市における在日外国人施策と地域実践― 多文化共生の先進地域の成り立ちと現在―

 

元森絵里子・坂口緑(明治学院大学社会学部付属研究所年報第50 号2020年2月)

https://iss.ndl.go.jp/books/R000000004-I030288455-00

 

歴史を…今何があってどういう経緯でなのか、知ること、大事。 意味が分かる。やってることの。

タイミングをとらえることの大切さも感じる。

 

外国人以外のテーマを包摂していくというところは、

ある意味70年代のベ平連との連携とも近い気がする。

 

 

川崎市の概要、地名

南北問題。

南部:川崎区、幸区

中部:中原区高津区

北部:宮前区、多摩区麻生区

おおひん地区: 朝鮮戦争で帰れなくなった朝鮮ルーツの方が全国から工業地帯に集 まったところ。桜本、大島、浜町、池上町

 

●1970~80年代:

社会福祉法人青丘社とその周りの市民団体が、在日韓国・ 朝鮮人の差別解消のための要望を市に提起

市営住宅の入居資格見直し(国籍条件撤廃)、児童手当の支給、 指紋捺印拒否者を告発しない

川崎市在日外国人教育基本方針の策定(1986)、 ふれあい館の開設(1988)へつながる

(背景)

*2代にわたる革新市政化の市長からのトップダウン( しかも県政も長洲知事時代が重なる)、

市職員からのボトムアップの施策(提言型)等

*人の重なりやつながりにも支えられながら循環しながら重層

 

●1990~2000年代前半

ニューカマーが増加し多文化共生が市政として掲げられるようにな る。

引き続き協力関係が地方自治、市民参画を目指す姿勢のちからに。

川崎市国際交流センターの外国人相談は1994年のセンター開所から始めている。長い!

・1989年~市長:髙橋清氏: 息子の進氏をはじめとする有識者を登用

1996年外国人市民代表者会議開始(目標:地方参政権

現在の担当部署:人権男女共同参画室。いいね。

 

●2000年代後半~

・革新市政が終わり遺産も潰えてきている。

ふれあい館の新しいチャレンジ:子ども、 若者の居場所づくりから外国人、特別支援を必要とする人の包摂

 

●その他気になったポイント

・宮島先生、川崎に関わってらっしゃる。 多文化共生社会推進指針策定の委員長。

・児童支援コーディネーター@学校: 担任を持たない専属の教員が多様な教育的ニーズのある子をサポー ト。外国ルーツの子も。 国の特別支援教育コーディネーター制度の拡充版。

 

よくまとまっていた。

が、まとまっていた、以上の示唆がほしいと思ったな…

これから取り得る方向性とか創造的なアイデアとか。

川崎の人は川崎を出ない印象がある。

私が市長なら、助成を出して本人負担なくても修学旅行でフィリピンあたりに送り出しちゃうかな。

そしてユニカセみたいな、

色々しんどい状況やったけど誇り持って働いてる人たちと出逢ってみてほしい。