無駄かもしれないけど病んでるときに考えていること
2022.Jul
その時々で色んな人に相談させてもらってきているのかもしれない。
10年くらいself-help groupに通っているけれど、
スポンサーと一緒にSTEPを踏むということをやってこなかった
興味はあったけど、スポンサーが見つからなかったり(というか、本気で探していない)、
ミーティングに通っていることでなんとかなっていたりして。
脱インド、脱シェアハウス、お仕事バーンアウト、と、この1年で2回の燃えつき&
5年前にも一回大きい燃え尽きをやらかしている気がする。
もう後がない、繰り返せないという気持ちがなぜか迫っていて
もうどうしようもないっていう感じ。
お休みもらっている間に回復して道を見つけなければ!という変な焦り。
それってSTEP1ができてないやん。という。
STEP1~3好きで何回も、そうだよねぇ、って思ってきたはずなのに。
環境が合わなかったんだよ、あなたは悪くないよ、と言ってもらえる時の安心感、自分を許せる感覚があったり、
確かに自分のせいにし過ぎと思うところはある。(完璧主義の裏返しかも)
一方で、STEPの実践やヨガ哲学、ホ・オポノポノなどが教えていることは、
大いなるものに任せること。
大いなるものに任せることで、
自分自身の人間としてーどうやったって不完全な存在としてー
の欠点を随分と手放せる、という。
それは自分の欠点を正面から向き合うことである。
自己中心や、貪欲…
10年以上やってきているのに、何もやってなかった、全然回復できてない、という自責がわいたりもする。
いい意味で環境のせいにして自分に優しくすることと、自分の欠点に直面すること
繋がっていそうなのに、相反するようにも見えて、混乱してる。
ただ、解放されたいだけなのに。
自分のペースで、自由にゆったり歩きたい。
なのに、ある意味自由な状態、お休みにおかれても、
社会の目?親の目?を内在化して、はやく回復してちゃんと仕事しなきゃいけない、という気持ちがブワブワわいてくる。
身体が動かなくなる時もある。
それも含めてプロセスなのかもしれないけど焦る。
タイミングも神に任せるしかないのに。
インドの時はどうしたっけ。怖くてこわくて、
身体が動かなくてて寝たきりになったり、
起きられる時は人に会わなきゃ!ってなったり、
会って疲れたり。
ヴィパッサナーで10日間引きこもって瞑想できたのはよかった。
一瞬エネルギーが出た間に、むりやり就活して、拾ってもらえたところで入って。
人があたたかそうという直感。それはほんとう、よくあたっていた。感謝。。
selfhelpでいっぱい泣いたけど、一応仕事がみつかったからなのか、
STEPをちゃんと踏むことはしていなかった。。
脱シェアハウスの時は…動けない時はひたすら寝た。
映画を見たり、好きなことをして、ちょっと回復した気がして、就活へ。
半分フリー半分雇用がいいなと思っていたけど、
職種・業界が変わってフルリモートでとなるとフルタイムが現実的か…と紆余曲折して。
内定出るまで怖くて友達にいっぱい聞いてもらった。
ありがたい。
が、もう少しプロとか、自分の目指す生き方している人にも相談した方がよかったのかも。これはこれで必要な寄り道だったのかもしれないけど。
で、働き始めてからのバーンアウト。水の合わなさは予感もしていた。
度々の引越しや、異動、ふたりぐらし開始、父の入院や色々。
こうなっちゃうかもと思ってたけどバーンアウトまたしちゃったことへの自責。
これも神さまの計画なの?どこにいくんだ?
今まで、仕事も、住めるところも、旅も、パートナーも、、
神さまは全部用意してくれていたけど。
ちゃんと元気でいられる環境に行かなきゃ!(でもどこ?)
いや、どこにいってもなんかあるんだから、自分を変えなきゃ!(でも疲れた。。)
みたいなぐるぐる。
良い環境への導きも、自分の欠点を手放すことも、
自分ひとりでやらなくていいんだよな。。
こわがりやさんの完璧主義屋さん。。
一瞬解決方法が見えたような気がしたときに復活して、
またダメかもって思ったら落ち込んで、みたいな、変にエネルギーを使う一喜一憂。。
ラダックが懐かしい。これもまた過ぎ去る。