映画を見ました。
https://www.google.com/amp/s/www.cinematoday.jp/news/N0119174.amp.html
カントくんの眼差し…
まっすぐで
きらりとしたり
吸い込まれそうになったり
"阿寒から離れるんだったらどこでもいい"
デボさんから山に誘われる
山に入る前にお祈りをする
熊のチビをお世話する
イオマンテ
送るなんて...
逃がそうとする
バンド。カントくんと、学校の仲間たち。
アイヌじゃないもの、というか、
西洋的なものへの憧れ、
あるよねぇ。
"オリジナルをやりたい"
"ムックリ(アイヌの口琴)いれたりとか"
"学校でアイヌのことたくさんやらされるんだから、バンドでまでアイヌ全面に出さなくていいんじゃない?"とか
"カッコよかったらなんでもいい"、とか
ライブ、いいなぁ。
OKIさん、かっこいい。
シンプルに。
イオマンテのときの歌
アイヌにルーツがあるひとも
アイヌの文化を学んだり
歌うときに歌詞を見たり
奪われたものを取り戻しているような
強く奪われていなくても
私だっておばあちゃんの時代のことや文化をしっかり受け継いでいるか?といわれたら。
小学校のときに昔の道具を聞いてくるっていう宿題があった。
あれがなかったら、炭のはいったアイロンや、七輪や、洗濯板を、ゆっくり見ることって、あんまりなかったかもしれない。
神棚と仏壇にお供えしてからごはんを食べることも。
わたしの(母)文化って、なんだろうね。
アイヌの生活の中に神さまがいることは
なんとなく、イスラームとも似ている気がする。
日々の生活が神との対話。
阿寒湖のアイヌコタンは観光色も強い印象があったのだけど、
本作は半分ドキュメンタリーみたいな感じで、阿寒湖アイヌコタンの人が登場しているようだった。
イオマンテを今の時代にやったら風評はどうなるか、という議論も描かれていた。
観光客の描かれ方も象徴的。
ひたすらカメラを向ける
お店の人に、"(あなたも)アイヌなんですか?"と聞く
(そこからなにか広がるなら、いいと思うんだけど)
"日本語上手ですね"に、「頑張って勉強しました」と答えるアイロニー
観光でもなんでも、興味を持つところからしか始まらないと思うけど、
深まらないと、傷つけるだけになってしまうのかなぁ。
自分も色々やらかしてしまっている気がする。
ルーツがあることと、母文化を継承してることは、必ずしもイコールじゃないし。
少し前に、
お母さんが在日コリアン(どういう呼び方がいいのか未だにわからない)、お父さんがぶらく出身の方とごはんに行って。
"アイデンティティできてきたの40代入ってからかな〜どう生きるかまた考え直してる"、とおっしゃっていた。
生まれつきのソーシャルワーカー!と感じるような、子どもたちをあったかく見守っている方なんだけど。
自分と対峙してきた経験のある人に特有な柔和さを湛えていらして、とても尊敬している。
わたしの生き方を"面白い"ってほめてくださって、"話聞くの上手だね"、と言ってくださって、ありがたい...
その方の行きつけの、在日コリアンの方がやってらっしゃるごはん屋さんに連れてってくださったんだけど、
ホルモンの入ったチゲや、チヂミや、スルメイカのキムチや、ハチノスや、何もかもが美味しかった…
コチュジャンから自家製らしい。
「韓国料理と在日料理は味が違うんだよね」というのが印象的やった。
韓国の韓国料理のほうが辛い。
在日料理は、唐辛子ももちろん入ってるのだけど、どこか甘みがあるように感じた。
日本で生き延びてきた時にその場にあったもので工夫して味付けされてきた、ということみたい。唐辛子、手に入りにくかったのかな。?
小さい頃、近所にも韓国ルーツの方、お好み焼き屋さんやってる方もいらしたなぁ。
なにも深く考えていなかった。親も特に特別になにか言うわけでもなかったけど、名前で韓国の人なんだなぁ?とふんわり思っているくらいの感じだった。
へんに、かわいそう、とか思うような先入観が植え付けられなかったのは、よかったのかも。
また別な話で、友達の家が牧師さんで、教会学校に行ってたけど、それも何も言われなかったし。
親の放任ぐあいは、ホント尊敬と感謝。自分が子育てするとき、そこまで手放せるかなぁ。
なんか、改めて自分のルーツ探ってみたいな、とちょっと思う日々。
おばあちゃん達のことも分かってるようでわかってないし、おじいちゃん達は自分が生まれたときは亡くなっていたので、なおさら。
ゆっくり探検できますように。🙏
おまけ。
ウポポイで買った鹿(ユク)のオハウ(汁物)を食べた。
甘くて優しくてほっこりする味や〜☺️