Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

自分をいかして生きる…そもそも働くことは喜びでなくてはいけないの?

自分をいかして生きる
西村さん。
いつかの読書録。

 


そもそも働くことは喜び(でなければいけないの?)という問いがクリティカル。

 

西村さんの他の本の記録https://1234567.hatenablog.jp/entry/2018/08/19/101005

 

★p151
そもそも 働くことは良いことであるという考え方は 人類史の途中から姿を現した 。
この価値観は近世のヨーロッパで生まれキリスト教産業革命を足がかりに世界に広がった。


○16-17世紀 の西欧:
絶対王政が敷かれていた。
王家、貴族や 、ギルド、聖職者、市民、農民といった身分の区分が明確。
それぞれ別の経済圏。
身分の低い者が必ず上の権力に従うわけでもなかったという。


○その後近代国家が形成されていく過程で農民が都市に流出。
浮浪者や乞食となる。
暗くなったら寝るとか疲れたら休むといった自然時間的な体を生きている彼らを収容して時間割に沿った労働感覚を教える矯正院や、救貧院が作られた。
何もしないとか無為に過ごしているとか怠惰であることは罪であるという価値観の共有にはキリスト教の原罪主義が機能した🤔🤔🤔
表向きは慈善活動として行われたが実態は監禁ないし強制労働でもあったようだ 😫😫😫
*そう思うと福祉の起源っ労働と隣り合わせだな。。


○16世紀ガリレオが振り子時計を想起した
&17世紀ぜんまいと振り子を組み合わせて懐中時計が作られるようになった
→自然の時間と別に人間の社会が本格的に時計の時間を刻み始めた。 

ちょうどこのころ労働者の再編と労働観の修正が進んでいる点が興味深い。
時計時間という定規を当てることで本来定量的に扱いにくい人の働きが部分的に数量化できるようになった


○この流れは18世紀イギリスの産業革命によってさらに加速。同時期に欧州各国で階級制度の廃止が進んだ。その背景には農民の位置づけを変えることで社会の工業化を担う工員の不足を補う意図があったようだ。


○19世紀のアメリカでは奴隷解放が進んだがこれは従来の奴隷より移民の労働力の方がコスト的に安いことを踏まえたもので結果的に貧しい賃金労働者層が再編された
* 日本からハワイアメリカに渡った移民もこの時期だったかな。
https://www.y-history.net/appendix/wh1203-078.html
*日本が今外国人労働者を読んでいる流れと似ている気がする…


○19世紀
並行して各国が民主化し新しい社会構成に沿った人間の再配置が進む。そして国や社会により主体的に参画する市民の概念が発達。工業化の成果として、可処分所得の高い中流層が増加。
市民的な感覚を持つ層は厚みを増す。
結果として王政の時代に比べると徴兵も税金の徴収も容易になった。…アメリカの独立戦争やフランスの市民革命は一体誰のためのものだったのかという気もしてくる 。
労働で働くことをよしとする考え方は共産主義においても資本主義においても機能した。
それは都市化総合化産業化の流れに沿って広がった近代以降の価値観であって、それ以前の社会には実はあまり見られないと言う 。

 

●何をするにしても 存在を十分に投入して働くのはとても大切なことだと思う。
でも働くべきだとか仕事の中に喜びを見出すべきであるとは全く思わない。
人はより生きているという実感に喜びを覚える。仕事はその感覚を得やすい媒体の一つであるというだけのことだ。
ただ働くことだけが私たちの生を充足させるわけじゃない。価値観の形成過程には、誘導性も感じられるので、このことについてはむしろ慎重でいたい。

*子育ても生を充足させる営みなのかもしれない。けど自分の生を充足させるために子育てするのはなんか違う気もしてる。
Whatever you do, it is very important to fulfill your potential.
However I never think that people should work or find joy in their job at all.
human beings find joy when we really feel that "I'm living !" Work is just one of the media to easily acquire those kind of  sense.  how the sense of value is established sometimes manipulated I feel so I want to be careful.

 

●どんな○○に?
イチローはどんな野球をしたいかというイメージをもっている、面白さを知っている。他の仕事をしてもその感覚は「はたらく」はずだ。
わたしたちは<自分>になれる仕事をさがしている。
どんな自分でいたいか
Beの肩書きだ。

*どんな旅人でいたい?
暮らしに取り入れる旅人だなぁ

面白い人でいたい。

 

●下手くそでぎこちなくても、仕事に対する初々しさや可能性が感じられる働きの方に、クリエイティビティという言葉はフィットする。
*勇気づけられるー(T_T)
いいのだ、柔らかなバラの花びらのような、生牡蠣のようなのが。
初々しさを覚えていられるように。早く慣れたい、うまくなりたいって思いがちやけど。

*生きる目的は、美しいものを美しいと思えること
かなぁ。 

 

●P.61
カタログ化した社会で、価値をつくるのではなく、選んだり買ったりして生きること。自分に合わせて選んでいるように見えて、実は自分を与えられた枠組の方に合わせているような事態が頻繁に生じているんじゃないか。

 

●P69
仕事はつくるものとも言いがたくて、心に浮かぶ、忘れられない、出会う、次第に形になっていく、なる、ものか。

 

●p71
自分の仕事を、自分だけで見出すべきだとは思わない。それよりも、互いに開かれた存在でありたいと思う。

 

●p76
わたしたちはつい思い通りにゆかない自分の現実や駄目っぷりにばかりに注目して情けなくなったりヘコんだりするわけだが、まるで望ましくない自分のありさまにも価値はあって、それは自分の望みや求めの在処を示してくれることだと思う。
心の水面にさざ波が立つとき。その下にはまだ現実化していない何かがある。それはほかでもない、自分だけの資産だ。
*ネガティブちゃん、つい、早く去ってーって思ってしまうけど、チャンスだったり、いとおしかったりするものなんや。surrender.

 

●P92-
他人から もらったアドバイスより 口に出してみた気持ちや自分が語った言葉の余韻が再び自分に揺さぶりをかけてそれが次の場所へ向かう足がかりになってきた感覚がある。
余韻として心に響くような言葉を発するには、 相手や機会がいる。
自分の真実に近づいた言葉を語った人は、心の中のそれまでいた場所にはもういられなくなる。
知ることは変わらずにはいられない体験なので。
アドバイスは本当に一切しないだろうか?
力が出ることやりなよ、ぐらいは口にするかもしれない。
力を出し切ることが潜在的な可能性を開いて行く唯一の方法だと思うから。
やってみてそこから何か手がかりを得てまたやってみるというスパイラルを回すことのほかに、
人間あるいは生命がその力を展開させて行く道筋はないと思う。
もし誰がやっても同じような仕事ではなく、自分がやるから意味があるような働きを成したくて、既にある仕事も中にはそれが見当たらず自分で始めるとしたら、
当たり前の話だけど最初から上手くいく方が珍しい 。
周りはそんなことで大丈夫?とかちゃんと食っていけるの?とか言った声をかけるだろう。実際あまり食べられなかったりもすると思う。
でもどの時代にもそれまでになかったことや、まだ教科書が編まれていないこと、誰も教えてくれないようなことを手探りで始めた人たちはいて、彼らはどうそれをやったかと言うと、ただ無我夢中でやったのだと思う
いくら考えても分からないことがある一方、
分かることについては、考えるまでもなく瞬時にわかる。判断のもとになる経験や実感が足りていることについては 。だからまずは、自分を丸ごと投入して働いて、やってみて、その中で感じたり考えていけばいいはずだ。
うまくできなくていいし、さまになっていなくていいから、今できること力が出ることをどんどんやって行けばいいのだと思う。
*そうだな。それがぎこちなくても、むしろ、ぎこちない悶々としたもの、ロジカルより、感覚的なものこそ。

 

●スタッフと自分に聞いてみたいこと。😍
*どういうとき自分らしく働いている、自分をいかして生きていると感じますか?
その人らしさを引き出してるとき

*どんなありがとうが嬉しい?
Thanks for being cute
It's fun to work with you
I rely on you
I could express myself thanks to u


●夜と霧の話も。自由とは…p177
勤めや務めとして働く只中では、 一時的に気持ちや感情をされたり殺さなければ社会的な機能を全うできない場面が当然のように混ざる。
この時に試される胆力の有無は人の成熟を表すものでもあるだろう。
しかし。自分をころして生きる、と、自分をいかして生きるという二つのあり方が並んでいたら、僕は後者でありたい。