Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

ムスリムと約束と労働観

みんぱくのこらむより。

ムスリムと働いたことはないけれど、

友達といて、

約束に対する感覚の違いを感じることもちらほら。

なるほど…腑に落ちるかも。

インシャーアッラーと言えたら楽だろうなとも感じるけどどうなんやろう。

神との関係があっての仕事、てのはほんと、なるほど。

必ず約束できるなんて、未来が完全にコントロールできるなんて、たしかに傲慢かもなあ。

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イスラーム世界の人と仕事をした経験をもつ日本人は、ムスリムは怠け者で約束も時間も守らないと嘆くことが多い。

確かに、私が暮らしたセネガルでは、お祈りの時間にはタクシーが止まってしまう。モスクでの集団礼拝の金曜日には、午後の役所に行っても誰もつかまらない。約束をしても「インシャラー」と言われ、何事も神のおぼしめしのままにということになる。日本人には誠に由々しき態度である。

ムスリムはほんとうに怠け者なのだろうか。イスラームの経典コーランには勤勉であれと書いてある。しかし、日本人が考える勤勉とは少々異なる。大切なことは、コーランに規定されている神との契約(シャリーア)を履行することである。その結果、自分を取り巻く現世での契約は二の次になることもある。働くのは宗教的生活の手段にすぎない。神の創生を信じて地の果てまで商売をしに出かけることも、重要な宗教的実践となる。

日本人は仕事を生きがいとし、そこに自己実現を求める。その自己実現を目指して、所属する社会の規範のもとに自分を律し、社会が求める役割を演じることになる。ムスリムは神と対峙(たいじ)することによって自己実現を達成しようとする。そもそも働くことの意味が違うのである
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イスラム教徒であるマレー人には、1日5回(夜明け、正午、午後、日没、夜半)、礼拝する義務が課せられている。私が留学していたマレーシアの大学にも構内にイスラム礼拝所が設置されており、マレー人の学生や教職員に利用されていた。

大学の1日のスケジュールもイスラムの礼拝時間に合わせたものになっていた。始業時間は、夜明けの礼拝に合わせて、午前8時と早く、昼休みは、礼拝時間を含めて、2時間ほど取られていた。金曜日は、モスクでの集団礼拝のため、午後3時ごろまで昼休みが設定されていた。

植民地時代、イギリス人は、華人やインド人に対しては「勤勉」、マレー人に対しては「怠惰」というレッテルをはっていた。マレー人は祈ってばかりいてちっとも仕事をしないと思われていたのである。しかし、そのような理解は表層的に思える。

マレー人は「仕事の時間」と「祈りの時間」を両立させて生活しているのである。そもそも「仕事の時間」という考え方は近代的なものであり、マレー人は祈りの時間と近代的な仕事の時間との間で折り合いをつけるようになったのかもしれないのだ。

この話は、勤勉が美徳とされる近代資本主義の仕事観を再考するのに一つのヒントを提供すると思うのだが、いかがであろうか。


Source
https://www.minpaku.ac.jp/museum/showcase/media/ibunka/index