Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

受容とは何か、受け入れるとは何か

カウンセリングとか電話相談の研修やら本やらみていると、

よく「受容」がキーワードになっている。

ありのままの自分を受けいれる、という言葉もよく目にする。

歌の歌詞にもでてくるし、今の時代に需要の高い言葉なのかもしれない。

けど意外とその定義について考えてなかった気もする。

最近祖母が亡くなったんですが、葬儀の時に彼女の死を受け入れてるのか受け入れてないのかよく分かんないな、と思って、ちょっと考えてみた。

 

ひとつ思ったのは、

「受け入れる」について考える時って、「受け入れられてない」感じがある時だ、ということ、

受け入れてる時にいちいち私受け入れてる!って思わない。受け入れてない時と比較して受け入れてる状態を感じるのだと思う

 

大切な人の死を受け入れるとは?

相手の応答が得られないことを認めることかな、と今のところ思う。
彼女だったらどう答えるだろう?のこたえは、もう想像するしかない。

 

死をきっかけに受容を考えたけど、

実は受容というテーマが自分にとってすごく気になる時は、

満たされてない願望があるとき

受け入れられてないと感じるのはどんなかんじ?

願望もってるということ、満たされてないと思うこと自体を否定したくなる、嫌になるのが受容できてない状態に思える。
だから裏返すと、受容するっていうのは、
 
(a)願望をもっていること自体を否定しない、否認しないで、そうなんだな、って認識すること
さらにいうと、
 
(b)それをいいとも悪いとも評価しない
ある意味他人事のように、すこし距離をもって、俯瞰的に、客観的に、そうなんだなーま、いいんじゃない(なんであれ、ある意味、どうでも)
つまり→執着せず、手放す。
「受け入れる」なのに「手放す」っておもしろい。
執着するから満たされないとこだわって受容しづらいんかなって、ゆるゆる考えてて気づいた。
自分のものさしで評価しないっていうのも、相談受ける時に大事だし。
最初から評価されたら心閉じてしまうからね:(

(c)あと、surrender というか、制御できなさをみとめる、あきらめる?みたいな。
降伏するのも、受容の一要素かなぁ。ああ、いま私こういう状態なんやな。しゃーないな。というような。
 
なんだか、書いてたらだんだん12STEPぽくなってきましたが。
そういうことなのかなーって思った。
まとまらないけれど、このへんで。