https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%9F%B3%E6%9D%A1%E6%B9%96%E4%BA%8B%E4%BB%B6
1931年(昭和6年、民国20年)9月18日(金曜日)午後10時20分ころ、中華民国遼寧省瀋陽市の北方約7.5キロメートルにある柳条湖付近で、南満洲鉄道(満鉄)の線路の一部が爆発により破壊された[3]。
まもなく、関東軍より、この爆破事件は中国軍の犯行によるものであると発表された[3]。このため、日本では一般的に、太平洋戦争終結に至るまで、爆破は張学良ら東北軍の犯行と信じられていた。しかし、実際には、関東軍の部隊によって実行された謀略事件である
https://www.asahi.com/sp/articles/ASS9M1JH0S9MUHBI018M.html?iref=sp_rellink_01
地元の男性(54)は花束を持って現場を訪れた。事件の起きた18日が満州事変の発端になった柳条湖事件の日であることが気になったという。この日は中国では「国恥の日」とも呼ばれ、反日感情が高まるとされる。男性は「私たちは歴史を忘れてはいけない。だが、(被疑者の)男のしたことは犯罪行為だ。私は中国人として非難する」と話した。