『完訳バガヴァッド・ギーター』
鎧淳さん訳
中公文庫
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読書メモ バガヴァッド・ギーター 前編 - Living Diversity
第七章〜
7.28
されど、浄行にして、罪障消滅したるひとびとは、対立の惑いより解き放たれ、誓い固く、われに信愛を捧ぐ
対立の惑いより解き放たれ、ってなんか、ノンデュアリティぽい
そしてわれに信愛をそそぐ…
クリシュナがいちばんや!みたいなのは一神教ちっくな香りもして不思議、、
適く、ゆく、と読むのか…赴くの意味。
第九章
ひたすら、クリシュナに信愛を
って話にみえる〜
9.29
われは、一切衆生に平等不違なり。
愛憎、われになし。されど、信愛もてわれを愛しむ人びとわれにあり。またわれ、かれにあり。
第十章
クリシュナがベスト!といろんな方法で言ってる感じ?
10-21
アーディトヤ神群中、われはヴィシュヌ。天体の中では、燦々と輝く太陽。マルト神群中、われはマリーチ。星辰の中で、われは月菟。
★マルト神群…
インド神話に登場する暴風雨を神格化した神々の1群。別名ルドラ神群(あるいはルドリヤ神群)。インドラ神の従者とされ、みな兄弟であり[2]、一様に美しく若々しい好戦的な青年神の集団とされる。(ウィキペディア)
マリーチってマリーチアーサナのマリーチかな?
第十二章
12-5,6,7
あらわならざるものに心を寄する人びとにとり、労苦は一段とまさる。示顕(じげん)せざる帰趨の、肉体を具するものたちにより達し難ければなり。
されど、すべての行為をわれにむけ捨離し、われに専念し、もはら、ひたむきなヨーガもてわれを念じつつ、われに仕える人びと、
心をわれにひそむるこの人びとを、プリター夫人の御子よ、われは、死に至る輪廻の大海より、すみやかに救い出すものとなる
12-9
されど、心をしかとわれに集中しえざるに、強運の士よ、そのとき、反復実習のヨーガにて、われを得んと願うべし。
12-10
反復実習も、そなた叶わざるに、われへの行為に専念すべし。わがために行為をなすも、そなた成満を手にせん。
12-11
されど、わがためのヨーガに訴えんに、これをなす能わざるとき、己を調御し、あらゆる行為の功果の抛拾をばはせ…🥺🥺🥺🥺🥺むずいけど!
12-12
知識は反復実習にまさる
(まじ!😳😳😳😳😳)
知識より、静慮すぐれ、
静慮より、行為の功果の抛拾まさる
抛拾より、ただちに寂静あればなり…😇😇😇😇😇
結果に執着しなければおだやか…
執着しないひと、わが愛づるところなり…とな
第13章
この肉体は田…
プラクリティとプルシャの話かな
13-24
ある人々は静慮もて、みずから己のうちに自己を見、他の人々はサーンキヤ論のヨーガもて、または行為のヨーガもて自己を見る
第14章
ポリヴェーガルとグナはにてる気がする
純性、激性、暗性
激性が執着、苦悩
暗性は無知を生ずる
善業の功果は純性、無垢
3つの素因グナを超越したら生死労苦から解き放たれる
純性がいいってよりそれも超えていくみたいな…
素因を超えた人…
動かない。素因活動してるな…みるだけ。好悪均しい。人難ずるも、ほむるも動ぜざる人
信愛のヨーガもてわれにつかうるひと
第15章
15-11
精進するヨーガ修行者たちも、主の、己のうちに住するを見る。
精進するも、心粗野にして痴鈍なるものたちは、かれを見ず…
15-12
太陽に存し、くまなく世界を照らす光輝、また月に存し、火に在る光輝を、わがものと知れ
15-14
われは一切火となりて、生類の体内に潜み、呼気、吸気に合して、4種の食餌を炊ぐ。
15-15
またわれは、万物の心腑に座す。記憶と知識、その喪失もわれに発す。われこそは、全ヴェーダもて知られるべきもの。ヴェーダンタの作者にして、全ヴェーダを知るものわれなり
👀ヴェーダンタでてきたー
第17章
17-14
神々、バラモン、師父、知者への崇敬、廉直、貞潔の行と、生類への慈しみは、身体の苦行といわれる。
17-15
他者の激昂を招かず、真実にして、きくに快く、優しき言葉、さらに、ヴェーダ読誦の反復実習は、語につきての苦行といわれる
17-16
心の明澄、柔和、沈黙、自己抑止、内心の清浄は、これ、心の苦行といわる
17-17
功果を求めず、(ヨーガを)修する人びとにより、無上の信もて行ぜられしこの三重の苦行は、純性なりと、人びという
17-18
己への厚遇、敬意、尊崇を求め、かつは、偽善により行事らるる苦行は、功果移りやすく、定かならず、この世に、激性なりと呼ばる
17-19
辟見もて己を苛虐し、また他者の破滅を目指して行じらるる苦行、そは暗性なりといわる。
苦行にも種類があったんね…!😳
17-20
「与うべし」とのおもいもて、適時、適所で、相応しかるべきひと、なんら友ならざるに施さるる施与、純性なりとさる
適時適所も大事かもなぁ…
17-21
されど、見返りのため、はたまた功果を目指し、また心ならず施さるる施与は、激性なりとさる。
やってしまいがちな気もする…🤣
17-22
時、処を得ずして、相応しからざるものに、扱い疎漏、侮蔑の念もて与えらるる施与、そは暗性なりといわる。
17-23
オーム、タト、サト
とは梵の三重の指標とさる。
これにより、往古、バラモン、ヴェーダ、祭式は創始されたり。
17-24
されば、規定の定むる祭式、布施、苦行の所作は、梵を告知する人びとにありて、つねに、「オーム」と発生して始まる。
17-25
祭式、苦行の多様なる所作、また布施の所作は、功果をば期せず、解脱のみを求むる人びとにより、「タト」と発声してなさる。
17-26
サト、と、この音声は、実在の意、また善の意で使用さる。またサトの音声は、プリター夫人の御子よ、目出度き業の意味にも用いられる。
17-27
祭式、苦行、布施の持続も「サト」といわれ、さらにまた、そのための行為も「サト」と呼ばる。
17-28
信なくて、祀り、苦行を行じ、またなししところは、プリター夫人の御子よ、「アサト」といわれ、死後にも徒、この世にても徒なり…
17章深い…気がする
18章も似てるなぁ
18-5
祭式、布施、苦行の行為は抛つべからず。そは、まさに、なすべきところ。祭式、布施、苦行は、賢き人々にとり、浄めの具なり。
18-37
始めは毒のごとく、遂には甘露のごときもの、自己につきての知慧のもたらす心の明澄より生ずる幸は、純性なりといわる。
始めは毒のごとくなの…?!
良薬口に苦し的な?
18-38
五官、その対境の結合より生じ、始め甘露のごとく、遂には毒のごとき幸は、激性なりといわる。
ぬーん。
18-39
頭緒にも、終尾にも、自己を昏ませ、惰眠、無気力、怠惰より生ずる幸は、暗性なりといわる。
はにゃー
◆解説
バガヴァッド・ギーターすなわち聖なるものの歌…
バグワンは聖なるもの、かなぁ
聖なるもの…宇宙にあまねく最高不滅のヴィシュヌの権化、クリシュナのこと。
クリシュナの歌…
権化は化身と違う😳
世の秩序を守るために人間または獣の姿を借りてこの世に来ること…
戦で討たれるのは肉体に過ぎず、魂は死なない…
そもそもいまBC3102-カリユガの暗黒時代🤣
ギーターはBC3-2世紀頃にできて、時代の中で付加修正があったと思われる〜
首尾一貫してるとは限らない
それはスートラもギーターも同じ。
ギーター、詩章だしなぁ。
解脱の道を2つ示している😳😳
ひとつは、霊魂についての智慧を得て証悟すること
離欲によりなされる
(プルシャとプラクリティは別、的な)
ふたつめは、自ら私利私欲を離れ、執着なく、一切を神にゆだね、結果の成否を度外視して、為すべき本務を遂行すること
なすべき本務ってなんだろね〜
ひとつめがウパニシャッド(≒ヴェーダンタ)的
2つ目は日常的とな。
欲を離れるのは共通してそう。
練習も人生も思い通りにはいかないけど、導かれてる、みたいなな〜
神って概念が2つ目では強いのかな。
18章をウパニシャッドと呼んでいる(?)
前は、ヨガの先生とかお坊さんとかは、もうこの世を出てしまってるから苦しみが少ないやん、修行は大変やけど、ずるい(?)と思ってた。
でも今はそっちの世界に行くのもいいかな、そっちにいる時間増えたほうが平和よな〜と思ったりも。
どこにいてもDancing on Prana なんだけどな。😌
クラスで話したりしたこと。
◎義務の遂行
行為をしなさい。でも結果に執着せずに。
結果に執着した行為→カルマがたまる
スートラにもある:煩悩に起因するもの。
◎執着4段階
1)ダメだなと思いつつ続けちゃう
2)これをやめます宣言
3)辞める途中
誘われると惑う、辞めてからの歴をカウントする、相手から身を隠す><笑
4)抜けきった~
道路から草むらへ戻っていく
*完璧をめざしてしまう性質をおぼえておくこと
◎学ぶために生まれてきている。
レッスン終わってなかったら再試><
自分なりの正論はあるけど
相手のそういう面を導いてしまうわたし><
◎自我意識は、植え付けられたもの
そのドラマを演じ慣れてるから手放すのが難しい、
かわいそうなじぶん、とかでも。
面白い…
やったことない役、いったことない道より、ひどくても知ってる道を選んでしまう。
◎欲はどこから来るのか???~五感の制御
外側だ。
刺激を減らすと内側の声がきこえる…
大切なことは小さなささやきできこえる
サットヴァの執着も手放せるといい。みたい?
◎相手を変えたいと思っちゃう執着・・・
人は自分が変わりたいと思えないと変われない
→その人が変わりたいと思えるようにリードする…