Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

時間の比較社会学…今が充足

時間の比較社会学
近代世界を自己相対化し自己超出の運動の一環を担う比較社会学


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書物はその存在自体によって、手にする者に直接的な幸福を与えるものでなければならないと私は考えている…それが書物の現在である」、とな…


電子書籍を見据えてるような。1981年の本だけど!

 

見田さんが真木悠介の名前で出すのは、世の中で受け入れられることを一切期待しないという古風な熱情を持って記された文章群だそうな。逆にそういうあまのじゃくなものには惹かれちゃうわたくし。


自分自身にとって納得できる、他の人にとって様々な角度と限界を持ちながら、いくつもの光源のうちのひとつとなれるなら、すでに過剰の幸福…問題感覚の核を共有できる読者が一人あるなら、そしてそんな問いの核心にことばが届くことがあるなら、それは書くものにとって奇跡といっていい祝福…なんて謙虚で柔らかな方なんだろう。


見田さんがまだご存命だったら、全部は理解できていないけれど、届いたよ!と伝えたい。

 

自我論、関係論の助走は宮沢賢治/存在の祭の中へ


にしるされているらしい。きになる…!
「自我の起原」ぱらっとみて硬すぎて読み進めてなかったけど再チャレンジしたいかも…どうしたら歓びにみちた現在を生きることができるか?


解放の比較社会学…根を持つことと翼を持つこと

A. 生の拘束の淵源としての時間
B. 生の虚無の淵源としての時間

 

生の拘束の淵源としての時間
社会の特定の形態における諸主体の集列性が「時間」というパラメーターをあたかもそれ自体に固有の拘束力を持つ実体として存立せしめるという規制の帰結にほかならない


時間という名の他のものに拘束されているだけ。
この拘束が時間という抽象化された客観性の形を取るのはなぜ…?社会の形態の問題。

 

感覚的な麻酔とか強迫的な信仰とか日常の気晴らしによる解決ではなく
論理のたてられ方自体を研究する

(信仰や気晴らしもなかなかいい方法だと思うけどな〜)


死の恐怖や生の虚無ということを知らないたくさんのひとびとがいる!


文化や社会構造の影響
旅をして分かること…

等価のないもの…PRICELESS?
としての自然や他者に対する感受性があれば現在の生に内在する意味、充足


具体的な他者や自然との交響のなかで、「自我」の牢獄が溶解してる時がコンサマトリー。ニヒリズムを超えてる。

 

未来に向かって現在を組織化する、客体化された時間のシステムを獲得すること、それ自体はある意味我々にとってひとつの解放…そうなのかぁ。


死の恐怖や生の虚無は知の地平の範疇ではなく、ひとつの生きられる戦慄。われわれをそこから解放する認識は、われわれの知によって知られるばかりではなく、われわれの生によって知られねばならない。


知がそれ自体として解放する力をもつということはない、知が生き方を変える限度においてだけ、それは解放する力を持つのだ。


知ではなく生による解放…世界を解釈するのではなく世界を変革する、つまりわれわれが現実に結ぶ関係の質を解き放つこと

 

社会の構造は、人間の自由な意思と想像力がその中で自らをうらぎるような軌道をさえ描いてしまうような磁場を形成してる。人間学的な解放が必要。


原始的な共同体とは別なかたちで…!
(つまり見田さんも具体的な解はないのかもなぁ。今ならどう思うんだろう)

 

P4
時間は生成し、維持し、消滅させる…
ブラフマ、ヴィシュヌ、シヴァと同じ!
消滅に泣くなら奇跡的な生成の恩恵にも泣かねばならない…
消滅が生成よりあとにくるから注目しちゃう?

コンサマトリーじゃないときの救いの先の一つが宗教って捉え方なんやー!

 

P22
オーストラリアのチューリンガ
生まれ変わりと言われる人に渡される
自分は誰かの生まれ変わりという感覚…引き継がれてきて引き継がれていくものという感覚。。
今の私には持てていないかも、個が疎外化してる
自然、景観も、拡大されたチューリンガ。祖先の功績であり、自然はごく短期間人間の姿をとっていてrelative である…

 

P40
牛の時間の世界と植物xの時間の世界と…いろんな世界が交流するようになってくると抽象的な時間が必要になる。グローバル化ゆえ!


未開民族の知能を知能検査して欧米人と比較しようとした…


積み木や迷路、正確さを目指して午後全部かける。でも、作物の種まきや収穫は超速だったりする。時間は、機会、目的、必要性のいち側面であり、それはと切り離して独立に費やすものではない。

人類学者のこのとまどいは、我々の近代社会の自明性の、最も特異な側面としての時間の感覚を逆照射する。

 

われわれの生きる世界の、それ自体の内部においては問い返されることのない自明性の対自化のための方法的拠点としての時間論。

 

ニーチェは時間をニヒリズムの基礎として捉えていた。

 

1)自然からの人間の自立と疎外、それによる自然との生きられる共時性の解体…虚無化していく不可逆性としての時間の観念(ちとわかりにくい。。)
…萌芽的にはオリエント、とくにヘブライズム…最古の反自然主義的な文化から 

 

2)共同態からの個の自立と疎外、それによる共同態の、生きられる共時性の解体…抽象的に無限化されうる等質的な量としての時間の観念…萌芽的にはインダスなど、
高度にはヘレニズムのような都市化されたゲゼルシャフト的な社会から発生 

 

1と2の展開の統合の帰結としての西欧近代文明…

ヘレニズムとヘブライズムの具体的な特徴が気になる。

 

P52
原始社会の聖なる時間と俗なる時間
繰り返す逆転の反復、対極間の振動の連続…同じ方向に進行するものではない。(これ、どんな感覚なんだろう。)
太陽と月、並行するもの、顕在と潜在を交互にやるような…

 

P60
時間的なもの、一回的なものは相対的に取るに足らないものとする感覚にとって、自分自身とは、人間とはなんだろうか? 近代人が何よりも大切なものと考えているこの「私」の一回限りの生と、日付を持った人間の歴史とは…それらはそこでは、永遠的なもののたち現れる"場"としてこそ、意味をもつ
たしかになぁ。
自分であって、自分だけのものではないというか。

 

P80

ムビティがアフリカの暦についていう。
一年の正確な日数を問うことは見当外れ。

一年は日数によってではなく、出来事によって数えられるものだからである。350かもだし390かも。
共同主観性としての時間と相互主観性としての時間
夏至とかそういうほうがナチュラルでいいなぁ。
政治的統一が暦の統一を要請する…社会システムなんよねぇ。

アフリカの人が結びついてた大地から離れて都会にいくと人間性を喪失してしまう。しんでしまう。香港に賢く住んでる重慶大厦のボスは?


未来という時間の次元を輸入してしまったら…アフリカの政治経済宗教的な不安定を理解する鍵


Sasa Zamani
個人主義への志向と共同性からの乖離の要因…学校と教会と経済競争、そして未来という時間の次元とその一切の現実的および幻想的な約束…

未来をもたない伝統的なアフリカ社会
人種差別撤廃…ニ年以内に不可能なら2年しか未来をもたないと非現実の領域、現にある人種差別の中でしか生きられない。長い未来をみられると解放される希望がある、たしかに良き面もあるかぁ


古代日本
イザナギイザナミ…生と死は空間的移動
イネの実りが一度あるのがとし。稔。いねへん!
農耕だから現実的なので未来が一年限度くらい。農耕において初めて結果のために現在の生を手段化する。
予祝…みのりを予め祝う。望ましい未来が現在となるのを期待して待つ。
その在り方は嫌いじゃないかも。希望になりそう、しんどいとき。

 

Abs_tract 事物から引き離された…時間
時間の物神化


万葉…今ある時の経験の具象性に没入
古今の歌…時間の流れをそれ自体として対象化し、個々の自然も人事もあたかもそのための素材のよう…
今の和菓子の作られ方もファッションもそうなってそう。。


手触りを失っている。
奈良から平安、官僚制の成熟、いく世代を経た都城生活…
平安遷都自体が古代貴族の上昇的な疎外の総仕上げとなー!

 

古今
袖ひぢてむすびし水のこほれるを春立つけふの風やとくらむ
立春だから氷も解けてるだろう(氷溶けてるから春を知るのと逆)

 

ヘブライズムの時間…
量的ではなく質的。終末論。
可逆か/質か量か

われ信ず、思う、感ず…ゆえにわれあり…
自分自身の存在感、実存のリアリティを取り戻すために要請し発見してきた条件法。
なまなましく脅迫的な条件法…
おびえ、不信、疎外の感覚。
条件法なしに主体が実感をもちえぬという時間と自我との双対的解体感自体が問われなければならない!!
この崩壊感覚は離人症とにている。
…非依存的な、自力主義者がおちいる…
陥りそうになるよねぇ。 


個人の精神病理をこえて、
歴史的、社会学的には、共同体ゲマインシャフトに対する集合体ゲゼルシャフトだから。
boundaryもいるけどつながりもいる…


生きられる共時性の喪失…コンサマトリーにときをたのしむこと…休息の喪失
近代人の一般的感覚が鋭敏になっただけ

天才はただ、時代の狂気をより深く身にこうむり、より妥協なく対面する。

 

P248
ルソー@ビエンヌ湖畔
魂が十分に堅固な地盤を見出して、完全にそこに安住し、そこに時分の全存在を集めて、過去を喚び起こす必要もなく、未来にひと足飛びする必要もなきような状態、時間が塊にとってなんの意味もなく、いつまでも現在が続き、しかもその持続を示さず、継起のあともなく、不足や享受の、快楽や苦痛の、欲望や恐れの感情もなく、ただわれわれの存在という感情だけがあって、その感情だけが魂の全体を満たすことができる、そういった状態があるとすれば、その状態が続くかぎりは、そこにある人は幸福な人といえる


…16世紀以来の近代精神のあの失われたときの本質について…時間の解体感による不安と自己喪失感は、多くの人々の証言によってみた。  


現在が過去や未来によって支えられていないという感覚がひとつの不安な自己喪失感として意識されるのは、
じつははじめにその自我の現在が、それじたいとしての内的な充実を失い、存在のたしかさを失っているからではないのか。
それはみずからの意味をその外にもとめている…文明の病としての意味からの問いの解放のときが、ルソーの描いている幸福。

 

(たしかに…脱インドで落ちたとき、人生の意味は、美しいものを美しいと感じること、って思った。それはコンサマトリーやなぁ)

 

近代的な自我が自然との同化あるいは他者との愛のまじわりのなかで己の自閉を乗り越えようとする
自然との溶融を妨げる現実の特定の社会関係…🌀😭

 

社会が自然から疎外されてるので個人は社会からの疎外という代償なしに自然からの疎外を回復できない?!(T_T)


共同幻想としての神によってわずかに虚無から支えられるとな…
自然も神が与えてくれたものではないのかな。

日本の近代化は西洋のそれより軽め
共同体も1960年くらいまではあったし


内的な合唱と外的な合唱
時間の座標、定量音符15-17世紀にかけて整った→フーガなど複雑な多声音楽
たしかに、インド人は音の長さが揃わなくて
合唱下手やった気がする。一人で歌ったほうがのびのびして上手い。カラオケも音程というより長さが合ってない。

 

P271
近代市民社会の内部で煩わしい時間の支配から解放されたいと考えることは、近代市民社会の内部で汚らわしい貨幣の支配から解放されようと考えるのと同様、幻想的なユートピズムにほかならない…(T_T!! 
貨幣も時間も近代市民社会の存立それ自体の影。


客観的に存立する以外には存立の仕様がないような、内的な共同性を享有していないような他者との協同連関に、現実の生活過程を依存してるという市民社会的な関係性のうちに内在する矛盾の圧力…それが時間のプレッシャー…
他者とつながる媒介としての時間やお金にいつの間にか追われている

 

P276
富岡製糸場をはじめ、日本の近代化の初期工場労働において労働者が時間通りに出勤し時間に従って操業するという習慣が形成されるだけの為にも10年から15年を要した…!!!😳
仕事中に話をしないという就業規則に何年間もなれることができず。外人監督官たちが威張っているとしか理解しなかった。


前近代の共同体においては仕事中に話をしないことの方がよほど不自然な態度であったはずである…

 

Punctualityの故国イギリスでも。
マルクス資本論
彼らは奇怪な恐ろしい法律によって賃労働の制度に必要な訓練を受けるために鞭打たれた…焼印…拷問された…(T_T)


1.労働条件as資本と、自分の労働力の他に売るるものがないという人間
2.このような人間が自発的に自分を売らざるをえない
3.資本主義的生産が進むにつれて教育や伝統や監修によってこの生産方式の諸要求を自明な自然法則として認める労働者階級が発展


明治の頃から洗脳されてるんだわ!!
人類史の中で特殊なシステムっ
時計化された生…ソーシャルスキルと呼ばれるものもそうかなと思うと悩ましい。ほんと、ソーシャル!!

 

テレビは拘束するものでなく提供するものとして家族の生活時間を編成…!
欲望の操作を媒介とする全生活の組織化
Post TVだけどどうかなぁ。 

 

スケジュール化された生
時間給、賃借料、利子、信用、保険の掛け金…時間に基づいた商業構造…
予期できないことへの無関心


んーでもアジャイル
アジャイルと旅は違うのかな。旅はプレッシャーないけどアジャイルは売上
お金かかってる?

時間は現代の支配者たちを支配している
時は金なり、といって追い立てられてる風なマネージャさんたちの…

 

貨幣…様々な商品の一般化された交換価値の、対象的に自存化、物化されたかたち…質的に異なるさまさまなものが明確に一元的な尺度に測定されうるのは…生産物がその再生産にとっての社会的必要労働時間という抽象化、等質化、一元化された時間の尺度に還元される…!なので時間と貨幣がパラレル。
賃金格差…(T_T)


◆射程の長い未来をもたない原始共同体の世界はひとつの幸福だったかもしれないとしても、我々のうち多くは、もはやその場所に戻れないし、そのことを欲してもいない
(欲してもいないのか〜ちょっと羨ましくもあるが)
現代的でも虚無に陥らないこともできる!
1)現在の生をそれ自体として愛する実感を保つ
2)未来がある具体性をもつ(抽象的な時間じゃなく、、)

 

いやはや。

ほんとそうよねー!という本やった。

ひとまず、時々お金からも時間からも放れてぼんやりすることが必要な気がする。