Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

ニカラグア 1990年代チャモロ政権で民主化して若き

 
ニカラグアに行った方に会った。

 

中米の中では協力隊の派遣が多いと聞いた。
多かった、(過去)なのかな。
派遣中は2人のようだ。
https://www.jica.go.jp/ volunteer/outline/publication/ results/jocv.html

(2019.5.21閲覧)
「2018年6月、国内の治安悪化により、 派遣中の全ボランティア40名に対して、 避難一時帰国の措置が取られましたが、
同年9月には同措置が解除され、10月には2名のボランティア( 青年海外協力隊1名、シニア海外ボランティア1名)が再赴任し、
マナグア市内の配属先にて活動を再開しています。」
とのこと。
多かった背景は、 サンディニスタ革命のあとオルテガ大統領就任が1985年。

1990年代から民主化民主化してから浅いから発展途中なので、 のようだ。


https://www.mofa.go.jp/mofaj/ area/nicaragua/data.html# section1
「1936年にアナスタシオ・ソモサ・ ガルシア将軍が大統領に選出されて以来, 1979年までの43年間ソモサ一族が独裁政治を続けたが,
1970年代末になると,ソモサ独裁に反対する中道・ 左派が幅広く結集し,1979年7月, 武力によりソモサ独裁政権を倒し,
サンディニスタ民族解放戦線FSLN) 主導による革命政権を樹立した(サンディニスタ革命)。
その後,革命政権は急速に左傾化し, 国内の政治闘争が深刻化した。
同時に,1981年に米国でレーガン政権が発足し, 反革命武装勢力コントラ」 への支援と対ニカラグア経済制裁が行われた
内戦が激化するとともに, ハイパーインフレ等により経済活動は滞り, ニカラグア社会は極度に混乱・疲弊した。
1987年の中米和平合意に沿って,1988年,政府・ 反政府勢力との間で暫定停戦合意が成立。
1990年には,国連等による国際監視の下, 大統領選挙が実施され,国民野党連合(UNO) で親米保守派のチャモロ候補が勝利した。
チャモロ政権は,平和構築,民主化, 経済自由化という大変革に着手し多くの成果を残した。

2006年11月の大統領選挙で当選したオルテガ候補は, 2007年1月,17年ぶりに政権に復帰した。
オルテガ大統領は政権発足後,主要課題である貧困削減に向け, 低所得者向けプログラム等を推進した。
2017年1月,オルテガ大統領が就任した(連続3期目, 通算4期目)。」


レーガン氏のコントラ支援。。。
パラレルな構造がいろんなところで見られている気がする。。


 中南米特に疎いので少しずつ知りたい。