Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

菅原道真が、大宰府にきたのは、いつ?

https://www.city.dazaifu.lg.jp/site/bunkazai/1022.html#:~:text=%E3%81%9D%E3%81%93%E3%81%A7%E5%A4%B1%E6%84%8F%E3%81%AE%E3%81%86%E3%81%A1%E3%81%AB,%E3%81%A8%E4%BC%9D%E3%81%88%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%A6%E3%81%84%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82

 

学問の家に生まれ、右大臣にまでのぼりつめた菅原道真(すがわらのみちざね)でしたが、左大臣藤原時平の圧力によって昌泰(しょうたい)4年(901)、大宰権帥に左遷されました。

 

大宰府での暮しは都とはうって変わって侘(わび)しいもので、与えられた官舎(南館)は床も朽(く)ち屋根は雨漏りするようなありさまでした。

そこで失意のうちに2年間を過ごし、延喜(えんぎ)3年(903)に亡くなります。その遺骸を牛車(ぎっしゃ)に乗せて運んでいたところ、牛が動かなくなり、そこに埋葬しました。その地が現在の太宰府天満宮であり、大宰府での住居・南館の地が現在の榎(えのき)社と伝えられています。

 

失意というけど、

太宰府でも楽しいことなかったんかなー?