学問の家に生まれ、右大臣にまでのぼりつめた菅原道真(すがわらのみちざね)でしたが、左大臣藤原時平の圧力によって昌泰(しょうたい)4年(901)、大宰権帥に左遷されました。
大宰府での暮しは都とはうって変わって侘(わび)しいもので、与えられた官舎(南館)は床も朽(く)ち屋根は雨漏りするようなありさまでした。
そこで失意のうちに2年間を過ごし、延喜(えんぎ)3年(903)に亡くなります。その遺骸を牛車(ぎっしゃ)に乗せて運んでいたところ、牛が動かなくなり、そこに埋葬しました。その地が現在の太宰府天満宮であり、大宰府での住居・南館の地が現在の榎(えのき)社と伝えられています。
失意というけど、
太宰府でも楽しいことなかったんかなー?