既にあると気づくことで、与えることができるのかも〜梵我一如、ヴェーダ的な
▲泊めてもらったお部屋の裏に羊飼いさん。6時頃やったか。
ポールバンダルで、素敵な人と出逢った。
こんな40代レディになれたらいいなぁ。
常になにか、周りの人に与えられることがないかって、自然に身体や心がうごいているように見えた。
ものや何かすることだけではなく、
知恵を分けることや、
言葉がけや、
そばにいること…
たとえば
*あなたの好奇心旺盛なところ素敵!好奇心は世界を拡げるよね
*ホテルでもらったいい香りのシャンプー、使いきれないから、よかったら使ってね
*(髪が自然乾燥でもとてもきれいだったので秘訣を聞いてみたら)なにもしてないけど乳液つけてるよーたくさんあるから
*ちょっと彼女の様子見てくるね
*気づいてくれてありがとう!おかげで○○できたよ。
*細かいルピー余ったから使ってね(私もドルがあったから代わりにお渡ししたのだけど、それからまたルピーくださった…)
*メイク道具使う?
*香水使う?欧州でパーティー出るときはエチケットに香水が必要だよ。香水買うときに小さいサンプルもらっておくと旅時にいいよ
などなど、などなど…
アシュラムに籠もってヴェーダ(知恵、宇宙の真理?梵我一如)を学ぶのも素敵だけど、
彼女の在り方のように、生活の中で実践しする人でありたいなって思った。
分ける、ケアするには余裕も必要と思いつつ、
インドの村に行くと、
経済的にはそんなに余裕があるわけではないけど、たくさん与えようとしてくれる人に出会う。
それは宗教的に徳を積むためかもしれない。
けど、自分は世界の一部で世界は既に満たされていることを知っているなら、
自分のものと思っているものが、減っても世界全体では減ってるんじゃなくて、循環してるってわかってるから、
そしてまた自分のところにも巡ってくるって知っているから、
自然に分け与えられるのかなぁ。
(それが梵我一如的なことなのかな?と、私なりの理解)
与えられた経験とか優しくされた愛の記憶がそんな行動や心持ちをつくっているのかも。
うまくできないときもあるけど、
気づき直して体現できますように。