Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

視点を社会化する...スモーキーマウンテンでおもったこと

フィリピンにはスモーキーマウンテン(いわゆるごみ山、以下SM)が
パヤタスとトンドの二つあって、
日系NGOの方とご縁があって見学にいきました。

思ってたより匂いはきつくなかった
ふつうにサリサリストアとかがあって
もちろん食べるのに困るくらいの貧困なんだけど
でもそれでも生きている


幸福について 考えさせられた

どういう状況において幸福と感じるのか?
比較対象がないときかな と思った

幸せを2種類にわけてみたら
絶対的幸福と相対的幸福
というわけかたがひとつあるとおもう

相対的幸福、比較によってうまれる幸福 は
たとえば
なんかで1番になったとか、
昔より成長したとか
そういうときに感じるもの

絶対的幸福はなんだろーね
そこにあるものから幸せを感じ取るってかんじかね?


トンドの子どもたち場合たぶん比較対象がないから幸せそうにみえるのかなと
(ほんとのところはわからないけど、目はとてもきれいで無邪気な感じだった)
トンドで生まれたらトンドでずっと暮らしてるから他の世界をしらないし、
過去を振り返ってもトンドでの思い出しかないので
それが普通だからそれで幸せ


代表のおじさんは
我々の目的はここで生きることじゃなくてここから抜け出すことだ
と言っていたけど
一方でスモーキーマウンテンで暮らすことに依存してる状態なのも事実かなって感じがした。
SMでいまよりマシな生活をできるからNGOの支援はありがたいけど
SMを抜け出して稼いで自立して生きていくことにそこまで情熱はなさそうっていうか。

他の参加者さんいわく、
環境にやさしくしなきゃだからプラスチックとか使わないようになってきてるよねって話をしたら、
SMの人は、そうしたら私たちの拾うゴミがなくなってこまるわーって返されたんだって

悪循環がだいぶん長いみたいだ。

家族ぐるみですんでるので、
家族丸ごとどっかに抜け出すっていうのが大変なんかなと思う
一人だけなら自分が生きていく分をどうにかしたら抜けられそうだけど。

見学がおわって最後に締めくくりの時に
トンドに住んでる代表のおじさんが最後に話してくれたのが
スモーキーマウンテンができたのは戦争のせいだ
とか
JICAODAの支援の仕方が悪かったからこうなった
みたいなことをつらつら言っていて
ちょっと何も言えんかんじだった

たしかに日本の支援のやりかたの下手さは叫ばれることがあるけど
ちょっと日本のせいにしすぎじゃない?っていうかんじもした
(↑それが日本人的観点なのかもしれないが)
フィリピン政府の腐敗も一因だろうし。
なんか国営だった企業を民営化した会社がここに関わってるんだけど
この会社が結構搾取している感じである。

その他ちょこちょこもろもろ
【マルコス政権のあと】
アキノがスモーキーマウンテンのネガティブなイメージを消すために
スモーキーマウンテンを撤去して住民を追い払ったらしい。
でもまた他の場所に他のスモーキーマウンテンができたみたい

【住んでる人たちは】
田舎出身の人が多い。サマールとか。
田舎には仕事がなくて、マニラに行けばなんかみつかるだろうってかんじで来て、
でも結局マニラにも仕事がなくてスモーキーマウンテンですんでる。

スモーキーマウンテンの外からでられるとして、
スモーキーマウンテンより収入が低かったとしても出ると思いますか?
ってきいてみたら
出ないだろうねぇ
って
スモーキーマウンテンだと、
タダで住めるから(不法占拠してる)
っていうのが大きいみたい。

【スモーキーマウンテンにいってなぞなぞになったこと】
なぞだったこと・・・なにをすればいいのか?どんな人生を描いていけばいいのか??
本人でるきあるのか?根本的な原因はなんなのか?何が問題なのか?
あーぐるぐる


【また他のスモーキーマウンテンのNPOの人に会ってちょっとすっきりしたかんじ】

日本人の問題意識と現地当事者の問題意識は
ちがう。たしかに。
SMに住んでることに問題意識ないし、当人。

とあるインターンいわく
気づいて変わろうとするまでのプロセスをサポートしたい
教えるんじゃなくて気づいてもらう

彼らのうち多くはSurvivalのステージにいる。
NO option available
フィリピンは10人に7人が貧困ライン以下
ゴミだって生計たてるための資源なのだ
それ以外の選択肢がない


けど光もある。

ひとつは
ライブリフッド。
SMから卒業して、自立していく、
ロールモデルになりそうな人がでてきている。

スカベンジャーはとりあい、競争だけど、
ライブリフッドは協力がだいじ。
クロスステッチをつくっている)
ライブリフッドに参加している人の中から、
個人的な問題じゃなくて社会的問題って気付く人がでてきてる。
マクロな視点で見れてる人は、
ライブリフッドに参加している20人のうち2,3人だけど
芽が出ている。
(ちなみに奨学金もらってる子は80人くらい)
小さい自助グループ、互助的組織をつくることによって、
SMに住んでいるってことが個人的・自分だけの問題じゃなくて
国の状況もからんだ社会的問題なんだって気づいていく。

それから、SMに住んでる当人だけじゃなくて
第三者にも関心を持つ人が増えることが必要だから
スタディーツアーもやってる
内外から。


もうひとつはマルコス政権時代のグッドケース
ZOTOという組織があった。
彼らはスモーキーマウンテンの問題が
個人的な問題じゃなくて社会的問題だって気付いて
自由と権利のために組織化してたたかった
マルコス政権がおわってから活発でないらしいけど。。

The personal is the political
というか
Everything seems political in a sense というかんじがする
やっぱりそこが一番印象的だったと思う。
個人の問題じゃなくて社会の問題だって認識するっていうこと かな

まとまってなくてごめんだけどおわり!
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