ヤングケアラーの反動から
子どもから、自分の時間をもてないことによるしんどさを説明し助けを求めることは難しかった
それで大人になって自分の時間がほしいのかな
やっぱり自分の子どもを産みたくないのは精神疾患の遺伝がこわいからだなあ
生まれてしまったら腹くくってできるだけ楽しく生きるしかないけど
そこそこしんどいことも多かったから
あえて自分からそんな子どもを再生産したくない、それはその子にとって酷だ
自分が産む子を幸せにしてあげられる自信がない
なんでみんな再生産してるんやろな
みんなじゃないけど
子どものポテンシャルを信用すればいいのかもしれないけど。
親が依存症なのは珍しいことじゃないけど
彼は、色んな経験があるからこそ、いい感じに子どもを育てられるんじゃない。
いつの間にかできていたこともあるでしょう
といった
すごいポジティブだなぁ
私がこれだけネガティブに妄想できるなら
それだけポジティブな妄想もありうるということかもね。
「母のことが大好きで心配でしかたないっていう気持ちと、なんでこんなお母さんのところに生まれてきちゃったんだろうという気持ちと2つあって、それが苦しいんですよね。」
めちゃわかる…(T_T)
「子ども時代のほうが大変だろうと思う方がいると思うんですけど、大人になって自分が自由に動けるようになってからのほうが、私は精神的には苦しかったです。なぜなら、“まともな家庭で育ってない”というのがずっとあって、“だから自分はまともじゃない”って。私は努力して勉強して医師になった。だけど医師になっても自分のよって立つところが全然見えない。いつもいつも不安で、根を張れない感じがしました。」(夏苅さん)
そうなんだよねぇ。
咲さんは、こうした状況から何をきっかけに回復へと向かえたのでしょうか?
「3年前に自殺未遂をしたのですが、そのとき夫に言われたのが、昔は私と迎える未来を思い描けていたけど、私が『死にたい』という言葉を繰り返したり、自殺未遂をしたりするようになって、2人で一緒に年老いていくことが想像できなくなってしまった、ということでした。そこで初めて、自分がどれだけ夫を傷つけていたかに気づき、二度と彼を傷つけたくない、ちゃんと生きて、彼に安心を与えたいと思ったんです。そこから急激に世界が変わるように回復していきました。」(咲さん)
ちゃんと生きて彼を幸せにしたい
それはあるなぁ。
「私のやり方はとにかく自分を褒める! 何でもいいんです。『コップを洗った』『お風呂に入った』など、頑張ったこと、できたことを日記に書く。自分を傷つけてしまう、もうひとりの自分を慰めるように。これで、自分のしたことを客観的に見られるようになってきました。」(ととさん・30代)
ああ認知のゆがみ…
整体…(T_T)
①事実、②それに対してどう感じたか、③どうしてそう感じたか、④どうすれば良かったか、
階段の上りかたいつもそんなにドタバタなのといわれた。存在が邪魔だと言われている感じ。今の自分が嫌いだから?疲れてるから。完璧主義になってるから?。Iメッセージはためした。その場を離れた。起こってるな私の俯瞰した
BPDかぁ…eaちかいのかな 名前には意味ないかも
咲さんも、夫と2人きりで向き合っていた時期はどうしたらいいか分からず、お互いに傷つけ合っていたそうです。変化のきっかけは、咲さんが病院に行けないときに、夫が代わりに行ってくれるようになったこと。夫は医師から、接し方のアドバイスや、夫自身の心のケアもしてもらえるようになり、抜け道が見えてきたと言います。
基本的に、回復のメインエンジンは本人なんですね。家族や周囲の方は、治ろうとする動きを後押しする、お手伝いくらいの位置づけがいいと思います。協力は、うまくいけば、非常に重要な役割を果たします。ただ、ご家族も一生懸命なだけに、息詰まってしまうと苦しみも深く、ひどい有様になってしまうこともしばしばです。そのようなときは、距離をとることも必要です。」(林さん)
大切なのは、距離を置いても、「気持ちはそばにあるよ」と本人に伝えること。それが、回復に向けて本人が取り組む上での勇気になると言います。咲さんも、夫から「ここまではできるけれど、ここからはできないよ。だけど、あなたを愛していないのではないからね」と言われ、とても救われたそうです。
https://www.nhk.or.jp/heart-net/article/109/
To release the emergency brake and trust that God will tell me when I need to slow down.
お腹が動くと心も動く、しあわせになる
運動
運が動く
あしのうらにはなにかある
あるねえ。