文藝春秋社の創設者
これ、どこまで実話なんやろ?
オモシロイ、女子大生のブログ
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が、一旦血を見ると、市九郎の心は、たちまちに変っていた。彼の分別のあった心は、闘牛者の槍を受けた牡牛のように荒んでしまった。どうせ死ぬのだと思うと、そこに世間もなければ主従もなかった。今までは、主人だと思っていた相手の男が、ただ自分の生命を、脅おどそうとしている一個の動物――それも凶悪な動物としか、見えなかった。彼は奮然として、攻撃に転じた
敵手あいてが倒れてしまった瞬間に、市九郎は我にかえった。今まで興奮して朦朧としていた意識が、ようやく落着くと、彼は、自分が主殺しの大罪を犯したことに気がついて、後悔と恐怖とのために、そこにへたばってしまった。
…理性の外れる瞬間の描き方…
主人の妾のお弓…なんとしたたかっ
三郎兵衛の一子実之助が、父の非業の死も知らず、乳母の懐ろにすやすや眠っているばかりであった。
莫連女」とはどういう意味ですか?
すれていてずるがしこいこと。 また、そのような女性。 あばずれ。 すれっからし。おおお…
けんぺき茶屋の女中上がりの、莫連者ばくれんもののお弓は、市九郎が少しでも沈んだ様子を見せると、
「どうせ凶状持ちになったからには、いくらくよくよしてもしようがないじゃないか。度胸を据えて世の中を面白く暮すのが上分別さ」と、市九郎の心に、明け暮れ悪の拍車を加えた。
悪事がだんだん進歩していった市九郎は、美人局からもっと単純な、手数のいらぬ強請ゆすりをやり、最後には、切取強盗を正当な稼業とさえ心得るようになった。
にゃんと…
話聞いてくれる人いなかったのかな
昼は茶店を開き、夜は強盗を働いた。
彼はもうそうした生活に、なんの躊躇をも、不安をも感じないようになっていた…にんげんはそんなふうになってしまうの…か…?
彼も心の底では、幸福な旅をしている二人の男女の生命を、不当に奪うということが、どんなに罪深いかということを、考えずにはいなかった。が、一旦なしかかった仕事を中止して帰ることは、お弓の手前、彼の心にまかせぬことであった。
ぬぬーん。お弓…
市九郎はお弓に対して、いたたまらないような浅ましさを感じた。
お弓は、市九郎の心に、こうした激変が起っているのをまったく知らないで、
いつもは、お弓のいうことを、唯々いいとしてきく市九郎ではあったが、今彼の心は激しい動乱の中にあって、お弓の言葉などは耳に入らないほど、考え込んでいたのである。
唯唯として」の形で用いる) 他人のことばに少しもさからわずに従うさま。他人の言うがままになるさま。唯々諾々(いいだくだく)。
かつて愛情を持っていただけに、心の底から浅ましく思わずにはいられなかった。
彼は、一刻も早く自分の過去から逃れたかった。彼は、自分自身からさえも、逃れたかった。まして自分のすべての罪悪の萌芽であった女から、極力逃れたかった。
彼の遁走の中途、偶然この寺の前に出た時、彼の惑乱した懺悔の心は、ふと宗教的な光明に縋すがってみたいという気になったのである。
「重ね重ねの悪業を重ねた汝じゃから、有司の手によって身を梟木きょうぼくに晒され、現在の報いを自ら受くるのも一法じゃが、それでは未来永劫、焦熱地獄の苦艱くげんを受けておらねばならぬぞよ。それよりも、仏道に帰依きえし、衆生済度しゅじょうさいどのために、身命を捨てて人々を救うと共に、汝自身を救うのが肝心じゃ」と、教化した。
美濃の国を後にして、まず京洛の地を志した 享保きょうほう九年の秋であった。彼は、赤間ヶ関から小倉に渡り、豊前の国、宇佐八幡宮を拝し、山国川やまくにがわをさかのぼって耆闍崛山羅漢寺きしゃくつせんらかんじに詣でんものと、四日市から南に赤土の茫々たる野原を過ぎ、道を山国川の渓谷に添うて、辿った
絶壁を振り向いた刹那、彼の心にはとっさに大誓願が、勃然として萌きざした。
積むべき贖罪しょくざいのあまりに小さかった彼は、自分が精進勇猛の気を試すべき難業にあうことを祈っていた
市九郎は、自分が求め歩いたものが、ようやくここで見つかったと思った。一年に十人を救えば、十年には百人、百年、千年と経つうちには、千万の人の命を救うことができると思ったのである。羅漢寺の宿坊に宿とまりながら、山国川に添うた村々を勧化かんげして、隧道開鑿ずいどうかいさくの大業の寄進を求めた。
彼は、石工の持つ槌と鑿のみとを手に入れて、この大絶壁の一端に立った。それは、一個のカリカチュアであった
懈怠けたいの心を生ずれば、只真言を唱えて、勇猛の心を振い起した
大絶壁の一端に、深さ一丈に近い洞窟が穿うがたれていた。…3メートルかぁ
嘲笑→驚異→同情→協力→無関心→驚異→協力→無関心(2回の懈怠)
寄進がついたがそんなに進まないと見てまた離れる…
もう掘り穿つ仕事において、三昧に入った市九郎は、ただ槌を振うほかは何の存念もなかった。
さすがに、不退転の市九郎も、身に迫る老衰を痛む心はあった。身命に対する執着はなかったけれど、中道にしてたおれることを、何よりも無念と思ったからであった。
実之助の、極度にまで、張り詰めてきた心は、この老僧を一目見た刹那たじたじとなってしまっていた。彼は、心の底から憎悪を感じ得るような悪僧を欲していた。しかるに彼の前には、人間とも死骸ともつかぬ、半死の老僧が蹲っているのである。
「了海の僧形にめでてその願い許して取らそう。束つがえた言葉は忘れまいぞ