Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

多様性を伝え、社会の寛容さを担保する仕事とは

 

多様性を伝え、社会の寛容さを担保する仕事とは

ひとつの表出が、ライターとしてあがっていた。

 

段々と相手を許せるようになったんです

取材というのは、相手の話をとことん聞く作業です。(もう一つステージをあがると、聞くだけじゃなくて、コンサル的に相手と対話できるっていうのがあると思うんだけど、そこまでぼくはまだいけてません。)相手が言ったことの意図や目的が分からなければ、そこを聞く。相手のことをディグっていく時間なわけです。

そうすると自分一人ではたどり着けない、思考の多様性に出会う。自分と他人はぜんぜん違うし、正しさなんてケースバイケースだということに気づけました。

価値観が多様化した世の中だと言われて久しいですが、その多様性を伝え、社会の寛容さを担保するのがライターという仕事だと思います。

グリーンズっぽい思想だなと思う。

やわらかくて。

ないない、ではなく、既にある多様性を描こう、明るみにだそう、というのも好き。

グリーンズはソーシャルデザインの本が好き。

 


新卒就活での私の基準も、
多様性を大切にできる仕事、
マイノリティが生きやすくなること、
ひいては、一人ひとりが生きやすくなること
だった。

インドも、多様な言語、文化、ごはん、装い、宗教、が、在りながら、ひとつの国として在ることに惹かれ。
日本人社会にはなんだか窮屈さを覚え、
本当はもっとのびのびてきたかもしれないのだけど、
自分を抑圧し、
弾けて、寝込んで。

いま一度、自分の中の多様な状態すべてを愛しなおす機会を与えられてるのだろう。

今の仕事も、多様性を伝え、社会の寛容さを担保する仕事、といえるかな。

ソーシャルワークにおけるインテークや、ホットラインも、相手をディグる作業だな。

そしてそれは、自分に余裕がないと、楽しむことが難しい、と身体で感じた。

自分も吐き出す、アウトプットする、をしてないと、きけない。

 

誰のために、どこで、どんな在り方で、何をするのが、世界にとって、自分にとって、美しいのだろうか?
植物に触れ、穏やかな心持ちで、
ときに訪れるゆらぎもそのままゆるして
日々の小さなことから、大きな流れまで、導きを信頼して

森みたいな部屋、好き。憧れる。


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今の部屋も、
窓が大きくて眠りながら星が見える。
起きると裏の木々が見える。
窓際のミントも。(ローズマリーも加えたいな)
8畳でゆとりがあってヨガもゆるゆるできる。
壁際に飾り棚つくりたいなぁ。
服をしまう棚が訪れるといいなぁ。

God, grant me the serenity to accept the things that I can't change, courage to change the things that I can, and wisdom to know the difference.

土筆(つくし)とのらぼう 春を感じるごはん

土筆(つくし)とのらぼう 春を感じるごはん

鐘ヶ嶽に行ってきた。
帰りにつくしが生えているのを発見、数年ぶりに食してみた。
のらぼうなは初めて食べた。
畑に無人で売っていたのだ〜


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つくしの処理は超かんたんバージョン
袴を取るのが面倒なので、
袴の前後をハサミでカットしてしまうのである。
アクを取るべく、熱湯で数秒ゆがくと、
ピンク色がきれい。蒼い春の香り。
実は頭のところは食べたことがない。 
苦味がおいしいといううわさ。
佃煮だとあまりにカサが減るので、 
卵とじ派。
つくしの味って、なんなんだろうね。
アクも頭もとってしまえば、もやしみたいな感じかな。

のらぼうは、おひたしとお味噌汁に。
のらぼう、お初にお目にかかりますので、
Wikipediaさんの自己紹介を拝見。
西にはないのかもね。
確かに茎が甘くて美味しい。
つくしものらぼうも強い草だなぁ!

のらぼう菜(のらぼうな)は、東京都西多摩地方(あきる野市青梅市等)及び埼玉県飯能市比企郡小川町付近で多く栽培されるアブラナ科アブラナ属の野菜である。

のらぼう菜は収穫後はしおれやすいため長距離輸送や大量出荷向きではなく、生産地付近でのみ消費される地方野菜として受け継がれてきた

のらぼう菜は耐寒性に優れている上、花茎を折ってもまた次の脇芽を何度も出す旺盛な生命力を持った品種である。江戸時代後期の1767年(明和4年)9月、関東郡代伊奈忠宥が地元の名主小中野四郎右衛門と網代五兵衛に命じて、のらぼう菜の種子を江戸近郊の12の村々に配布した記録が残る。のらぼう菜の普及によって天明の大飢饉(1782年 - 1788年)及び天保の大飢饉1833年 - 1839年)の際、人々を飢餓から救ったと伝わる

越境するペルー人ーライフヒストリーや日本とのつながり

越境するペルー人を読みました。_φ(・_・
田巻松雄、スエヨシ・アナ編

 
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●田巻先生のいらっしゃる宇都宮の背景
栃木県内の日本語指導が必要な児童生徒
2012年5月 575人。
うち、4割スペイン語、3割ポルトガル語、続いてフィリピン、中国
7割が南米ということ。

(ちなみに2016年データだけど、日経新聞によると、要日本語指導の児童生徒トップ3県は
愛知県およそ7,000人、神奈川県約4,000人、東京都約3,000人。
東京は留学生や駐在員、富裕層が多いのかな。全国で30,000人超。)


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●ペルー概観ー日本と繋がったり距離が出たり
中南米で初めて日本と国交を結び、移住した国】
1873年日秘和親貿易航海仮条約
(日米〜の19年あと)
きっかけ:マリア・ルス号事件
清のマカオからペルーに向かっていたペルー船マリア・ルス号が悪天候のため横浜に。乗っていた清のクーリーが脱出しイギリス船に助けを求めた。イギリスはマリア・ルスを奴隷運搬船と認め日本政府に対し清国人救助を要請。日本は人道的観点から開放。(WW1(1914-1918)のあと、人種差別撤廃条約を日本が提案していた!)ペルーからは損害賠償請求受ける。

明治維新により農地改革、医学の進歩で人口増加、土地を持たない農民、失業増える
ペルーでは1854奴隷制廃止、1874クーリー廃止、農産物の供給者として世界経済に参加。
→日本からペルーへ契約移民。サトウキビ畑。アウグスト・レギアと、日本の企業家、田中卓吉の友好関係も影響

1899第一回日本人契約移民 男子のみ790人
1903女性含む家族移民
1906契約期間4年から大幅削減
1923契約移民、禁止→呼び寄せのみに

反日政策】
1930年代排日的政策が起こった理由
1)日系ペルー人がリマに集まり住む
2)経済的にペルー人と競争的
3)分離主義的
4)日米間の緊張
2は分かるけど、、
1は何が問題なんだ?集住するとコミュニティ固くて現地民と共生できない?
でもそうだとしても日系人だけのせいではなかろう〜?!
3も同様に、一方的に日系人に責任押し付けられないと思う。日本自身がいまオープンかって言われるとすみませんな感じだけどさ。
1940年 リマで反日大暴動。
41日米開戦→ペルーも日本に宣戦布告
戦時中日本語禁止政策→日本語教育衰退
1988年調査 約半分の家庭で誰も日本語を使わない
1966年調査 一世の58%は沖縄出身
日系と非日系の婚姻率
66年調査 男13%女8%
89年調査 男35%女31%
だんだん溶け込んでる?
日系人(ペルーで8万人くらい)で日本語話せる人10%。
私の知り合いでも日本に来てから勉強したという人あり。

日系人の出稼ぎ】
○1980年代後半から90年代の市民テロ、
貧困、インフレ
日系人の、ペルーから外への出稼ぎプッシュ
○1985-89 隠れた出稼ぎ移住
アラン・ガルシア大統領の時代(1985-1990、2006-2011)
経済危機
→「銀行の国有化」と「対外債務の返済凍結(返済額をGNPの1割に制限すると宣言)」
→後者はIMFの激怒を買う
→ペルーは投資不適格国の烙印
→政権末期には、年率7000%以上のインフレ
→フジモリにバトンタッチ。後ほど仲悪くなり、訴追されコロンビアに亡命、フランスへ

1990アルベルト・ケンヤ・フジモリ・フジモリ
リマ出身、日系二世
国家復興に伴う痛みは日系中産階級を直撃
新自由主義モデルによる経済成長。テロ悪化。
国有財産の売却、外国資本の石油、天然ガス、鉱物資源への投資を積極的に誘致
マクロ経済は安定。

なぜ、日系にも不利になることをしたのだろう?国に対して誠実だった、、のか?

しかし後に「アウトゴルペ」
大統領の権限強化。政府と国会の改革を断行


日系の大統領
→30,40年代の反日感情ぶりかえし
&1989入管法→日本へ流入

1990前半 出稼ぎピーク
1990後半-2001家族再統合、連鎖移住。子どもの呼び寄せ
○2002- 自立的な移住

【帰国支援したが乗らず】
○2009年:前年のリーマンショック後、南米系労働者の帰国支援(厚生労働省を通じ渡航費支援)
効果は薄かった。利用者12000人。90%以上ブラジル人、ペルー人は4%。日本に住むペルー人の1%しか利用せず。
なぜたろう?ペルーに帰るメリットうすかった?

【典型的な日本への移民パターン】
日本語ゼロでくる。祖先が日本人かどうかによらず。
たまたま日本、という人も。
工場なのでそこまで日本語いらない。
安全管理のためのポスターはスペイン語ポルトガル語も。
日本語勉強する時間がないほどの労働時間
労働時間(平均12時間)や契約内容の説明なし
短期1,2,3年の予定だが、ペルーの治安悪化(1993反政府ゲリラのセンデロ・ルミノソによるテロ)、子どもの成長、経済面などから長期化

☆日本人がインドで働くのは、
会社命令か、英語での仕事、裁量がほしい、あるいはインドが好きか、だなぁ
アジアの中でインド、だと、給与が他の国よりは良い、という面はあるが、
日本のほうがよいわけで、オカネは脱出の契機とはなっていないだろう。


【いろいろなライフヒストリー
家買いたい人多い。
月給35万(人による。20万〜)、ペルーの15倍
母の世代では(本人50代)日系と非日系が結婚するのをよく思ってなかったので、自分は日系社会を離れた。
22年も日本のような落ち着いた国で生活していると、リマ市内の渋滞には頭がおかしくなりそうです
☆そうなのかーー!
デリーの道もクラクションが鳴り響いていたけれど。当時はそれも嫌いじゃなかった。でも、どうやら日本へ移るかもってなった頃は、不思議とデリーの騒音に嫌いな気持ちが芽生えて、あ、インドから帰れって言われてる、と思った。
ベトナム人の友達も日本住みやすい、空気きれい、と。
空気の綺麗さは確かに貴重。

日系人は信頼されている、なぜ?
ブラジルでも。

【ブラジルとのペルーの日系人比較】
ブラジル人の方が純粋な日系が多い
日本に来ている絶対数も多い
日本語ができる人も多い
国交断絶の経緯
本州とその他
工場でブラジル人がペルー人と日本人の間で通訳になることも。→残業などの有利な情報は回ってこないこともある

ペルーに家を持っている人も
また帰るつもりの人も。日本だと年取ると仕事がないため。

☆外国人として外国に生きようとすると、
ビザがいつも問題になる、
そしてそれは(配偶者ビザとかじゃない限り)労働、納税と直結している。

【DFR Dual Frame of Reference】
二重準拠枠
目の前の問題を解決しようとするとき、
母国と今住んでいる社会という2つの社会的文脈の中に問題を位置づけて比較しながら理解しようとする。
主に一世に見られる。
日本にいると、精神的な幸福はペルーにルーツがあることを認識。物質的豊かさは得られる。それにより、家族やペルーでの仕事を離れての、日本でのブルーカラー生活を乗り越える。

【教育制度】p109
落第制度あり
幼稚園
初等教育
中等教育
高等教育
11年間。初等と中等で。
その後専門や大学にいける。


●学校生活についてのコメント
ペルーの方が好き、いじめがない、意味のわからない校則がない、クラブやスポーツ施設はよい。日本は落第がないから違和感。ペルーは幼稚園から義務教育終わるまで同じ友達、一貫教育。日本は小中高と学校が変わる、新しい人になるので不安
生活全般は日本が好まれる傾向。道がきれい、都市が安全
日本人は冷たく、ペルー人はあたたかい

●特徴的なコメント
運がいいという人(2/16)
家族、親のおかげ(11/16)

●女の子の15歳の誕生日お祝いがある。

●想定家族
友達やバイト先での信頼できる関係性

母語教育
スペイン語の通信教育がある
ペルー教育省から正式に認定されている制度
1 在日ペルー人の相互扶助組織Kyodaiが運営しているPEAD programa de Educacion a Distancia
1994-

2 ペルーの日系校ラ・ウニオンが運営するPEAD La Union


ベタ打ちだけど、とりあえずのメモでした。

なかなかペルーでここまで詳しいのがないので貴重。

 

 

断食合宿にいってみた

心身デトックスしたく、
断食合宿にいってみた。

○過ごし方
初めてなので本断食ではなくプチ断食、
効果は同じらしい。
朝昼晩、野菜ジュースを食事代わりに、噛むようにして飲む。
あとは水を一日に1.5-2リットル摂る。
(お茶にしてもよし)
脱水をふせぐ。
梅干し一日3個までOK。塩分補給。クエン酸も。
黒糖一日3個までOK。
黒糖、こんなに味がこゆかったのかと感動。
そして一日6時間歩く。
江ノ島から鎌倉まで往復してみた。
雨で寒かったけど長谷寺、色とりどり。さすが花の寺。


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江ノ島大師も蔵の中みたいで荘厳。

 
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○体の変化
2日目くらいまでが空腹との戦い、らしい
お腹減ったーと感じたり、気にならなくなったり。
2泊3日で1キロ減。
断食の前と、後は、断食期間と同じだけ、回復食期間。おかゆや味噌汁など。
味噌汁、久しぶり!甘くかんじる。おいしい〜

○心の変化
そんなにわかんない、かなぁ。
もう少し続けてみないと、ですかね。
服を処分したい気持ちがアップかな、強いていえば。
なんか、空っぽにしたら、またワクワクする目標がうまれないかなぁ、という期待がある。
いま、なーんもないって気がして。
それはそれでいいのかもだけど、ハリがなぁ。


○おねだん
ホテルだと一泊一万円超えている。
ごはん出ないのに高くない?!
ということで江ノ島のゲストハウス風のところに2泊3日で行ってみた。15,000円。

月一くらい家でできるといいなぁ。

おしまい。

天引きの内訳をみなおしてみた

天引きされているものの諸々おさらいしてみた。


●健康保険料と厚生年金保険料
全国健康保険協会協会けんぽ)は、2008年までは全国一律だった健康保険料率を、2009年から医療費の実態に合わせて都道府県ごとに差をつけるようになった。だいたい10%くらい。
協会けんぽは労使で5割ずつ健康保険料を負担→従業員負担は約5%。

厚生年金保険料は18%くらい→9%くらいに。

4月、5月、6月の3ヵ月間の給与を平均して保険料計算の基礎となる「標準報酬月額」を7月に決め、9月から翌年8月まで適用。
標準報酬月額は所得に応じて47等級。
→健康保険料と厚生年金保険料に影響。

参考
http://diamond.jp/articles/-/14800?display=b


所得税
所得税は毎月従業員から源泉徴収
翌月10日までに納付。
ただし、毎月の納付ではざっくりとした金額
→12月に「年末調整」で、帳尻合わせ
所得税=課税所得×税率-税額控除額
月々の源泉徴収される所得税金額は
社会保険料控除後の給与に応じて「給与所得の源泉徴収税額表」を参照。

所得税と、源泉徴収税のちがい?
源泉徴収は、所得税特有の行為
源泉徴収所得税を納める方法の一つであるため、所得税の中に源泉徴収が含まれるという位置づけ。
なるほど!
所得税源泉徴収 なりね。

参考
https://keiei.freee.co.jp/2015/07/01/shotokuezi-gensentyoushu-tigai/

雇用保険
被保険者の雇用保険料(控除額) = 毎月の給与総額 × 雇用保険料率(被保険者負担分0.3%)
毎月つどつどの給与によるので、毎月変わる。
雇用主が0.6%負担。ありがとうございます。
参考
https://hoken.azukichi.net/koyo_keisan.html


雇用保険料/健康保険料,厚生年金保険料でなぜ計算方法がちがう?
違い:
前者は実際の賃金で決め、後者は標準報酬月額で決める。
いくつか説があったが、納得感があったのは:
恒常的に支払いが発生する制度では固定的に費用を回収し、偶発的に支払いが発生する制度では変動的に費用を回収する、との考え。

雇用保険の支払いはそこまで頻繁ではないが、
健康保険も厚生年金も頻度高くある。

支払い方も違うのだ。

労働保険(雇用保険労災保険)の保険料は、年度当初に概算で申告・納付し翌年度の当初に確定申告の上精算。
事業主は、前年度の確定保険料と当年度の概算保険料を併せて申告・納付。
 これを、「年度更新」といい、原則として例年6月1日から7月10日までの間。
労災保険は雇用主が負担。ありがとうございますだわー

参考
http://www2.mhlw.go.jp/topics/seido/daijin/hoken/980916_3.htm
http://www.growthwk.com/entry/2010/11/11/110614

●住民税
平成29年の12月の年末調整で平成29年の収入が決定。
その収入を元に
平成30年の6月以降、平成29年分の住民税が天引き。
働きはじめるのが年末に近かった
→その年の年間所得が少ないので
→翌年の住民税負担減、ありがたし、、
まぁ、住んでなかったしね、実際。

参考
https://allabout.co.jp/gm/gc/469823/

計算方法ちゃんとみると、おもしろい!

 

書籍でもこのあたり、おさえたおきたいな。

エリーさんが生きるコントならばあなたは何?

私は生きるクッションかなー、緩衝材

あるいは、実験台?

みんな人生は実験か。

 

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雨宿りがてら、駅の近くの台湾屋台で魯肉飯(るーろーはん、豚の肉味噌ごはん)。
豚の脂身の甘みと醤油で甘辛い。高菜の塩味と半熟卵の黄身をいろんな配分で楽しめる。
ウーシャンフェン(五味粉)の深い香辛。
シナモン、クローブ)、花椒フェンネル八角、陳皮などが混ざった粉。
インドのミックスマサラでやったらどうなるだろう。
職場の台湾人の方のレシピでは、あっさりバージョン。豚は肩ロースで、煮込んだあと冷まして浮いてきた脂肪分を取り除くのだそうだ。細やか!

 

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店に置いてあった、大宮エリーさんの「生きるコント」という本を読んだ。

彼女の、繊細な感性が好きだ。


劣等感を受け入れて、さらけだしている感じが、勇気をくれる。
"むしろ、生まれてきてごめんなさいって思ってるんです。
いじめられた経験があるからかもしれない。
常に人より劣っている、嫌われていると感じてしまう。
こんなわたしが存在価値を見出すために見つけた取り柄、それは勇気、だった
ひとつの仕事でキャリアを積み重ねていくのは安心であり安全である。でも、わたしはそんなことを許される人間ではないと感じてしまい、今の自分には、到底できそうもない突拍子もない仕事を敢えて選び、ぶつかっていくのである。
その痛々しい姿を、面白がってくれればいい。あいつ、アホやなぁ、今度は〇〇をやるらしいで。無謀やなぁ、でも、なんかオモロイなぁ、元気出るわぁ、と。"

ひとつのキャリアが安定だ、という主流ちっくな考えを否定せず、でもそれは自分には選べない、というスタンスが、傲慢でなくて好き。
謙虚すぎるのかもしれないが、嫌な感じがしないし、ちょっと共感もある。

もやもやを気晴らししたいときの、気楽なエッセイとしておすすめ。

 

 

Uberーライドシェアを超える。競合なる自動運転を包み込んで。

Uber面白い。
自動運転システムの外販もはじめるようだ。
(2018/3/15日経新聞
ライドシェアの印象が強かったが。

ライドシェアと競合しそうな自動運転を自らが創るという。
将来的には自動運転が足りないときにライドシェアを使う構想らしい。
そうなると、運転手(個人事業主)が不安定。
複数の仕事をやるのが前提になるかもだが。
そこでさらに面白いのがUberの提案。
自社で社会保障整える前提じゃなくて、政府がそこをやるべきだという問いかけ。

構造的にそれが必要になるもんねえ。
フリーランサーが仕事が変わっても加入し続けられる州単位の社会保障制度を提案し賛同者を募った。ウーバーは運転手の待遇問題を自社ではなく、社会全体の問題として議論の枠組みを変えようとしている」
(2018/2/20日経新聞より)
運転手に職業訓練受けさせてるって記事も昔あった。(探してみたがぱっと出ず)

 

そんなことをするUberのミッションが気になった。
Uberの自己紹介は:
高級ブラックカーを手配できるアプリとして、ごく一部の大都市圏でサービスを開始した Uber は、今では、世界中の都市のロジスティック構造に変化をもたらすまでに成長しました。お客様のご乗車であっても、サンドイッチやお荷物の配達であっても、Uber のテクノロジーは必要なときに必要なものをお届けします。
About Uber
We’re changing the way people think about transportation. Not that long ago we were just an app to request premium black cars in a few metropolitan areas. Now we’re a part of the logistical fabric of more than 600 cities around the world. Whether it’s a ride, a sandwich, or a package, we use technology to give people what they want, when they want it.

配車アプリの会社じゃなくて物流全体なのだな。


採用ページを見ていると、日本は100%UberEatsに関する求人。(2018/3/15時点。
https://www.uber.com/ja-JP/careers/

 

2016年9月29日に日本でサービスを開始した「UberEATS(ウーバーイーツ)」。東京のレストランの料理をスマートフォンスマホ)で注文でき、登録した一般の人が配達員としてデリバリーする形態。
(日経2017/4/20。https://style.nikkei.com/article/DGXMZO15150870R10C17A4000000/
 )

GPSでドライバーの位置がわかるのいいよね。
インドのときはだいたいドライバー氏迷うから毎回電話しておった、、、
ユーザーもドライバーも相互評価つくから、こっちもモタモタしてないで早く家でないとだめなんよね。

まぁだいたい☆4つか5つ付け合う感じではあるが。たまに明らかに態度悪い人とか道間違え過ぎな人とかは容赦なく書いていた。(^_^;)

日本でのライドシェア、規制と噛み合わなくて難航しているようだが、できるところから攻める姿勢が軽やかだわ。


インドでデリバリーといえばZomato(ゾマト)が一つ浮かぶ。
ゾマトは日本でいうと食べログみたいなもの。
オンライン注文でデリバリーできる機能がゾマトにはある、食べログにはない、よなぁ。なんで?だからこそUberが参入できたわけだが。

 

米ウーバーテクノロジーズのダラ・コスロシャヒ最高経営責任者(CEO)の歴史も興味深い。
ダラ・コスロシャヒ氏 イラン出身。1979年のイラン革命直前、9歳の時に難民として渡米ブラウン大学卒。1998年に投資銀行のアナリストから米ネット大手IACグループにスカウトされて移籍し、最高財務責任者CFO)に就任。2005年に買収した米エクスペディアで最高経営責任者(CEO)。17年に米ウーバーテクノロジーズのCEOに就任。
(2018/2/20日経新聞より)

採用にもどると、多様な人をウエルカム、の姿勢もHPに明記されている。ステキ!はっきり書いてあるって大事。CEOの出自も影響してんのかなぁ。

"Uber では各自の個性を単に受け入れるだけでなく、歓迎してサポートします。さらに、従業員、プロダクト、コミュニティ全体への利益に発展させることができるのです。 Uber は機会均等な職場であることを誇りとし、雇用主として差別撤廃のために積極的に行動いたします。 人種、肌の色、出自、宗教、性別、出身国、性的志向、年齢、国籍、婚姻関係の有無、ハンディキャップ、性的同一性、兵役経験者であるかどうかに関わらず雇用の機会を均等に持つことをお約束いたします。"

APACの統括マネジメント職はマニラに多く置いているようだ。シンガポールにもあるけど。
インドではないんやなー。なんでだろう?
フィリピンのほうがタクシーもイーツも浸透してて肌感覚で現場が見やすいのかな?
インドもイーツのサービスはあるけど、そこまで普及してる印象はなかった。もう変わってるかもやけど。

そのうち日本でも競合できたりするのかなー。
シェアものは興味深い。
所有減ると、本当に所有したいものは何かって、大切に考えられる。
着るものもホントはそうかなと思うし、着た時の肌ざわりや、気分の高揚を大切にしたい。
けど、売るの前提にして気軽に買う人もいるようだな。

脱線しまくったけど、
競合しそうなものさえ、包含して未来を描くUberがおもしろい。それこそ、包含って、シェアかもね〜
そんなUberに出資する孫さんも興味深いのであります。

これも気になる。