Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

ミドルエイジか~~その前に少し抗っておきたい気もしつつ

東畑さん~~~

今度のアジカンのライブはMIDAGE FANCLUB

【試し読み】中年という「人生の午後」の物語――東畑開人『ミドル・エイジ・ビギンズ』まえがき全文公開 | カドブン

 

それでも、ここには心に残るものがありました。私の深いところで、尾崎さんは何かとても重要なことを言ったという感覚があったのです。

 

 いつまでも新しさを追求し、新しい自分になるべく変身し続ける物語ではなく、古い自分でしぶとくやりくりしていく物語。成長ではなく、停滞の物語。そこにはミドル・エイジの本質が埋め込まれているように直観したのです。

 

その頃、私は『カウンセリングとは何か』というタイトルになる本を準備し始めていました。それは大学院生の頃から抱えてきたライフワーク的な問いに答えを出そうするもので、心理士としてのキャリアの集大成となる本になる予感がしていました。積年の問いが解けそうであること自体は自分にとって喜ばしきことではあったのですが、それは同時に、自分の中でカードが出揃ってしまったことも意味していました。
 若い頃の私にはわからないことが大量にありました。というか、カウンセリングをめぐるほとんどすべてのことが謎めいて見えていた。だから、それらひとつずつを点検し、解剖し、新しい言葉を生み出すことを重ねてきました。学問は楽しい。ずっとそう思っていたのです。私の前には未知の大陸があり、そこで出会うもの、見つかるもの一つずつが新しく、珍しかった。
 しかし、二十年間、同じ問いに取り組んできて、そしてカウンセリングを人生の生業なりわいにするようになり、何かが変わったのです。ひとつひとつの具体的な臨床自体は今でも全く変わらずに謎めいているけれど、「カウンセリングとは何か」という抽象的な問いについては一定の答えが見えてきていました。青年期の問いが終わろうとしていたのです。
 すると、これからまだ、何十年と臨床心理学を続けていくはずなのに、私の前には(それはつまり私の中には)もはや新しいものが存在していない。そんなぼうばくとした感覚がありました。それはおごりだったのかもしれないし、勘違いだったのかもしれないのだけど、どうしても当時の私としてはそういう気分になっていたのです。そして、それを私は否認し、忘却しようとしてきたのだけど、あの夜以来どうしても否定しがたいものとして、私の前に立ち塞がるようになっていました。

へ~~~~

 

今、この本を作るべきだ。十年後には間違いなく、機を逸している。今しか作れないし、今作らざるを得ない。ミドル・エイジの物語とは何か。切実にそう問うことができるのは、今だけだ。

タイミングってあるよね。

 

まえがきで続きを読ませたくなる文章うまいなぁ東畑さん。

私はまだ、カードを増やさないとやっていけないような焦りがあるかも

それはエンプロイアビリティにおいて。

自然農においてはまだまだ試行錯誤でずっと続けていけそうなのよね

ヨガも。ヨガは身体の衰えは避けられないだろうけど

 

 

私たちは「社会」や「国」「会社」といった実態のぼんやりしたものの中にいる自分を気にしがちです。その巨大な主語を、「半径3mの世界の中の自分」に置き換えると、できることが山ほど見えてきます。会社全体を変えることは難しくても、自分のチームなら変えられます。