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46 立命館人間科学研究 第5号 2003.3
1)本研究は、立命館大学人間科学研究所における
2000~ 2002年度プロジェクト研究B(西田幾多
郎のライフヒストリー研究)の成果である。
2)立命館大学文学部
人間は誰しも我欲にとらわれた現実の社会に生きている以上,
様々な葛藤や不満から生じるどろどろとした生々しい陰の部分ももっている。
その陰の部分も容認した上で,望ましい光の部分に統合して力動的なバランスを
維持してゆくことが修行では非常に重要な点であろう。
したがって,その過程で魔境やその他の病理的症状が発現するのも当然であり,
それを超克してゆくことこそ坐禅の修行である
へえええええ。。。。
Ⅰ.変性意識状態の認知構造
坐禅を初めとしてヨーガ,超越的瞑想,気功
など宗教的修行としての瞑想法を通じて到達す
る特異な意識は,心理学では変性意識状態
(Altered States of Consciousness, 以下ASCと略
称)と総称されている。
ASCには,こうした高い価値志向的な体験だけでなく,種々の類似し
た意識の変容した体験も含まれる.
たとえば,催眠,自律訓練法,漸進的弛緩法などによる心身の弛緩,幻覚剤,感覚遮断,アルコール,ヒステリー,性的オーガズム,恋愛感情,没我体験などで,これらにも現実志向性の低下を通じて意識の変容が生起するため,すべてに共通し
た ASC の心理的特徴がみられる。
もちろん,たとえ類似性がみられても,そこに到る経路す
なわち体験者の先行条件の相違があるので
ASCだから全てが同一の体験であるという意味
ではない.それぞれの独自性があることは言う
までもない。中でもとりわけ坐禅を通じての見
性体験(悟りへの段階)は,他の ASC 現象と
は部分的に共通性は見られるものの特異な創造
的な体験である。またこの種の感動的な体験は
Maslow(1962)が指摘しているように至高の
体験であり,人格の成長を促すような性質をも
っている。
適応行動に必要なエネルギーを消費してゆくエルゴトロピッ
ク(ergotropic)な機能と,消費されたエネルギーを補充してゆくトロフォトロピック
(trophotropic)な機能がバランスを維持しながら自律的に作動している。いわゆるホメオスタシス作用である。エネルギー補充機能の大部分は睡眠を通じて行われているが,それでも十数時間に及ぶ覚醒状態を継続的に維持することは,生体にとってかなりの負担となる。
そこで生体は周期的に心身の活性化した緊張状態と弛緩した休息を交互に取り入れながら動的なバランスを維持しているのである
★それが緊張ばっかりになってると寝ても足りないんだよね。
脳の休息は自我機能の休憩状態であり,現実志向性の低減した状態である。したがって,これは生体の本来の姿であり,根源的な意識につながってゆくものであ
る。こうした現実志向性の低減した状態が,前述した変性意識状態である。従って,変性意識状態は,自我機能が十全に作動し,現実志向性の高い覚醒と睡眠の中間に介在するが,生理学的にも心理学的にも特異性を備えた意識状態といえる。
筆者は,その心理的特徴を基盤にして
変性意識状態を次のように定義した。すなわち,
「変性意識状態とは,人為的,自発的とを問わず,心理的,生理的,薬物的あるいはその他の手段,方法によって生起した状態であって,
通常の覚醒状態に比較して,心理的機能や主観的経験における著しい差異を特徴とし,それを体験者自身が主観的に認知可能な意識状態である。
一見すると,異常性,病理性,現実逃避性,退行性の要素も見られるが,究極的には根源的意識の方向性をもった状態である。」
この定義の最も枢要な特性は,現実志向性の
低減である。
これをさらに詳細な主観的な特徴
からみると,次のように大きく二つの群に分け
ることができる。
第一は,現実諸感覚の低減もしくは喪失,
第二はそこから派生した特徴で以下の通りである。
A.現実諸感覚の低減もしくは喪失
1.空間感覚の喪失(空間的な位置,方向などの感覚が機能しなくなる)
2.時間感覚の喪失(時間の持続,経過の観念がなくなる)
★これはよく聞くけどわかるような、わからんような
3.主観と客観の差の感覚の喪失(主客一如の一体感の体験)
★これもよく聞く、たまにある
4.言語感覚の喪失(筆舌に尽くしがたい,したくない感じ)
★これもよく聞く、たまにあるのかわからんが
5.自己感覚の喪失(分離感,自己の消失,深い熱中,没我感)
B.現実感覚の喪失から派生した特徴
1.恍惚感(陶酔した恍遊の境地)
2.注意集中(選択的ではあるが受動的な注意の状態)
3.宇宙識(真理の深み,洞察,ひらめき,禅の見性,悟り,至高体験)
4.受動性(何か偉大なる存在による被動感,心身の弛緩,おまかせの感じ)
5.一時性(深遠な体験であるが,短時間しか持続しない)
それでは,これらの心理的特徴はどのように
して生起するのであろうか。この点を検討する
ために,筆者は内外の刺激条件の変化によって
現実志向性が著しく低下し,ASCが次第に生起
してゆく一連の過程を現実吟味力の面からヒエ
ラルキーをなす認知体系として仮説し,試論し
てきた(斎藤,1981)。
そこでは現実吟味力の
機能低下や先行条件を,各種の技法に共通する
性質として集約すると次のようになる。
1)感覚刺激が閾値の上限,および下限を超過
(感覚遮断,社会的拘束,集団における混乱状況,断食,断眠などの宗教的修行など)
これはちょっと危なそう…
2)脳の中枢部への物理的,化学的な刺激(幻覚剤,アルコールなど)
3)仮死状態,昏睡状態
4)軽睡眠,まどろみ,白昼夢
5)連続的な単調刺激の提示
6)状況に適切な気分(心身共にリラックスできる雰囲気,たとえばムード音楽,美
しい夜景)
7)非常に新規な状況に対処できないとき(ショック,パニック状況など)
8)心身機能の異常状態(ホルモンや神経機構の変化によって生じる。例えば,嗜眠
症,甲状腺の異常など)
全体的に危ないのが多いwww
これらは,ASC生起の必要条件であって,そこには十分条件である体験者の要因(つまりASCに入り易い能力や特性と,それまでにどのような経験をしてきたか,すなわち経路)が含まれていない。
ASCは,内外の刺激条件と体験者の能力や経験を含むレデイネスの交互作用の
結果として生じてくるのである。
Ⅱ.見性 けんしょう体験の心理
坐禅による見性の体験は,禅者の報告によれ
ば上述の ASC のうち喪失感覚全般と宇宙識が
高いという面で他の ASC 体験に比較して際立
っている。周知の如く,悟りの本質は概念や論
理では十分に把握することは困難であり, 正に
直接体験することによりのみ直覚されるもので
ある。そこでの直覚つまり気づきの覚は,前述
した宇宙識のカテゴリーに含まれる内容である
自己と自己を取り巻く宇宙との一体感,主観と
客観の感覚が喪失した主客未分の,いわば純粋
経験である。この経験では無常の真理の深みが
天恵の如く降臨してくるのを自ら確信,体得で
きる状態である。上述のカテゴリーでは,自己
感覚の喪失,つまり自己が自己になりきり,さ
らに自己を超出して客体と一体化してしまうよ
うな状態,三昧の境地である。
しかし,悟りの本質は三昧の境に到る純粋経
験をするだけでは不十分で,それを通じてさら
に気づき,洞察,すなわち覚証,覚知がなけれ
ばならない。宇宙の真理を徹見することで,今
変性意識状態と禅的体験の心理過程(斎藤) 47
まで見えなかった世界が新たな視座の下に大き
く展開することが悟りである。
創造活動や,心理臨床での治療でも,自己超越体験を通じて自
己の内界が再体制化され,慧眼の開ける瞬間があるが,それらは正に宇宙の実相, 自己の本性を直覚する,つまり禅における見性体験に準ずるものであろう。
第一段階
邪念を掃蕩し無我の境地になることへの修
行により,現実からの乖離を目指してゆく。こ
れは他の ASC にも共通するが,現実から隔離
して非現実的世界への導入を図ることである。
つまり,現実的適応のために内外の環境に臨機
応変に注意エネルギー量を適宜調節しつつ配分
していたが,その注意をある選択された対象に
のみ集中的に振り向けていくことである。ここ
での注意集中は,最初は能動的であるが,徐々
に受動的なものへと変性してゆく。
★なんと現実からの乖離は修行の第一段階とな( ̄▽ ̄;) 在家でどうやるんだか。戻ってこれる、のだろうけど‥‥
第二段階は,導入されたあるいは自ら入定し
た非現実の世界で自我機能を一時的に低下,退
行させて人間に生得的に内在している自然良能
の生理心理的システム(ホメオスタシス)が十
全に作動可能なように誘導,もしくは遷移して
ゆくことである。臨床場面ではある種の現実の
葛藤が存在する場合,その「とらわれ」から自
我を解放するために,自我の一時的弱体化を図
り,ホメオスタシスにより,より望ましい形に
「再体制化」することである。坐禅では,一層
の瞑想の修行により,自己を一段と純化させ,
無になりきることで世界との一体化を求めてゆ
く,いわゆる静慮の状態である。
第三段階は,自己超越的な段階である。一般
の ASC 体験では意識の深化が一層進行し,極
端な場合,知覚,感覚の閾値の限界近くまで深
化し,自律系の機能のみが作動しているような
状況である。筆者はこのような意識を根源的意
識状態とよび,その認知構造モデルを提起した
(斎藤 1981)。このような意識状態に到達する
ためには現実吟味力がほぼ完全に放棄され,宇
宙の偉大なる存在に自らの命を「おまかせ」し
たような,自己超越的体験が生起するような段
階である。坐禅の修行では,自己を含む全てが
消滅し,宇宙の真実のみが存在し,そのとき真
の自己が徹見できる状態である。これは生理心
理学的に見れば一種の仮死状態ともいえる生命
の極限に近い状態といえよう。
禅者の至道無難の歌に次のようなものがあ
る。
生きながら死人となりてなりはてて
思いのままにするわざぞよき
正に,無念無想の境地である。後述するが,こ
のような自己を超出したような状態に到達した
とき,初めて自我より発する分別をしつつ分別
しないという絶対的矛盾が円融無碍に氷解され
てゆくのである。
坐禅の修行による見性体験から直覚される真
実は,己事究明であるといわれている。見性成
仏,つまり自らが仏であることを覚知すること
である。一切の事象が本質的に無である以上,
自己の本性も無であるが,同時に無限の働きを
もっている。したがって主観と客観の差を超越
した主客一如が宇宙の実相であろう。
★これが感じられたら楽ではあるよね。SHG的でもある。
睡眠と覚醒は,大脳の電気活動を基盤にし
た一連の意識の流れでありながら,神経生理学
の視点から見れば,当然不連続の微視的な遷移,
つまりカタストロフィは生起しているはずであ
る。
このアナロジーは,禅における悟りの瞬間の
生起過程にも適用できる可能性を示している。
カタストロフィは短い時間でドドドと発生、不安定さから。
真の悟りとは小さな見性
体験を多数経た後,さらに大悟を何度も通過す
ることで到達するものと言われている
けんしょう。さとり、思考体験
ブレスワークとな。
面白そうではあるけど安心できるところじゃないとなー
これalxがやってたやつかも。
いや、DMTかな。
家でやっている人たち
カパラバティとかバストリカに近いのかも。
ホロトロピックブレスワークを受けてきました | ヨガをきわめてニュートラルに生きる ~最高の自分とつながる キミの瞑想、ヨガ哲学~
宇宙料金って。。
お布施性なのはわからんでもない
ananda mandala breathing meditation
強く吸ってパパっと吐ききる
バストリカぽかった。
ちょいちょい手足の先がしびれた
のと。呼吸ついていけないので休み休み。
かなりリラックスして眠れた
もっとヒンディとかだな
光がみえる感じカパラバティ的。
たまにやってもいいかも。
ちょっとわくわくしてきた
どうでもいいことで悩んでる場合じゃない、のモードも
まだ私の中にちゃんといるわ。
農園の見学楽しみ。