すでに住職のいない寺が2割超……「葬式仏教」が生き残りをかけて編み出している「挽回の一手」(週刊現代) - 4ページ目 | マネー現代 | 講談社
定年後の出家を支援、ホテルと同居、介護施設を運営……ジリ貧の「葬式仏教」寺院が取り組む「最先端ビジネス」(週刊現代) | マネー現代 | 講談社
お寺を継ぐべきか迷っているあなたへ(前編) | ハフポスト NEWS
これは決して忘れないで欲しいのですが、お寺は住職一家の私有財産・所有物ではありません。大勢の檀家さんに支えられて成り立つのがお寺であり、それをお預かりするのが住職の役割です。さらに言えば、お預かりするのは今目の前にあるお寺の伽藍や、それを支える檀家さんの思いだけではありません。境内に墓地や納骨堂のあるお寺も少なくないですが、そこにはたくさんの亡き方々が眠っておられます。お寺を預かるということは、300年、400年というお寺の歴史を預かることでもあり、過去ご本尊に手を合わせた数え切れない死者の存在の記憶を預かることでもあります。
絶え間なく変化し続ける社会の中で、お寺という場はある意味で永遠性を託された場です。「諸行無常=一切は過ぎ行く」と観ずる仏教の考えからすると矛盾するかもしれませんが、自分がこの世に生きた証を残したい、この世を離れても自分が確かなものとつながっていると信じたいのが、人情というものです。大乗仏教は解脱ばかりでなく救済の道でもありますから、人情に寄り添うことが大切な局面もあります。
日本のお寺はそのような日本人の心情に対して、仏教というより先祖教というあり方で応えてきました。これまでは、イエというものが永遠性につらなるご縁の縦糸として個々人において機能し、そのイエの象徴としてのお墓を預かるかたちで、お寺は間接的に永遠性を担保してきたといえます。しかし、イエという観念が希薄になった現代人にとっては、イエはもはや永遠性の象徴にはなりません。不安な個人に対してお寺そのものがダイレクトに永遠性を担うことが期待されます。
その意味で、これまでのお寺は「仏教寺院」という看板を掲げながらも、大部分は先祖教の受け皿として機能してきたわけですが、これからはより仏教が前面に出て来なければ、役割を果たせなくなると思います
お寺を継ぐべきか迷っているあなたへ(後編) | ハフポスト NEWS
ひとつ忘れて欲しくないのは、お坊さんになるということは、隅々まで経済原理に覆われた世俗の価値観とは別の価値観で生きることだということです。兼業だから、法衣を着てお経を読んでいる間は仕事中なのでお坊さんとして振る舞うけど、お寺とは別の所で稼いだお金は自分の好きなように使えばいい、ということにはなりません。お坊さんである限り、周りの人は一挙手一投足、その人の生き方全体を見ます。法衣を着ているときにどんなにいい法話をしても、法衣を脱いだときに贅沢三昧、ということではいけません。というのも、お坊さんであるということは、仏教徒の模範であることが期待されるわけで、周りの人ががっかりするような振る舞いをすれば、それは逆布教というか、皆の心が仏教から離れていってしまうことにもなります。
(中略)
電話の応対ひとつとっても、住職のやることはすべて布教に関わるのです。
(中略)
私は坊さんほど、「仕事」としてやるのならしんどくてつまらない仕事もないんじゃないかと思います仮に実家のお寺が裕福だったとしても、「寺を継げば食うのに困らないから、仕事として坊さんやろう」という考えならば、やらないほうがいいですよ。カネのために坊さんをやっても、坊さんとして本当に面白いところを体験することは決してできません。そういう動機で坊さんになると、きっと人生を棒に振ることになります。
そうだよねぇ。
ヨガはどうなんだろうね。ヨガビジネス!!とか言っている人がいると、
分かるような気もするけど、う~ん?って思うのはここかも。
自分がそれだけ仏教的価値観でいけるんだろうか?
ヨガで稼ごうと思わないのもここと関連ありそう。
大事なことは、良い仲間・良い先輩と交わり、自分の僧侶としてのスタンダードを常に高いところに置き続けることです。ビジネスの世界でもそうですね。「まぁ、この当たりでいいか」「これくらいやれていれば十分か」と思ったときが、終わりのときです。仏門ならなおさらのこと、「まだまだこんなところに留まっていてはいけない」と思わされるような友や師を持つことが大事です。
これはみみがいたいね!!
頑張りたいと思うことと、そうじゃないことで濃淡はあるかもしれないけれども。
FIREしてる人に人間的な魅力をあまり感じないことが多いのもこのあたりにあるかも
僧侶になるべきかどうか? 若気の至りの塊のような10年前の私だったら、今のあなたに「仏の道に気持ちが定まらないならなるべきでない」と言ったかもしれません。でも、今は必ずしもそうは思いません。若いうちからいきなり仏門に根を張っている人なんて、そう多くはありません。どんなご縁でも、ご縁はご縁です。「お寺の長男に生まれちゃったから、継がなくちゃ」というのも、ひとつのご縁です。そこから始めて、歩みながら、豊かなご縁に育てられて、だんだんとそこに根を張っていけばいいんです。(中略)
僧侶になるべきかどうか、住職の後を継ぐべきかどうか、最後は自分次第であり、縁次第です。そのようなご縁を大事に思うのなら、ひとまずそちらに歩み始めればいいでしょうし、そんなものは関係ない!しばられたくない!と思うのなら、離れて生きればいいでしょう。でも、あなたがご縁を大事にして歩み始めるのなら、努力次第で、きっといいお坊さんになれますよ。
どうか焦らず、ゆっくり考えてください。
道元禅師は「正法眼蔵随聞記」で「無所得・無所悟」の坐禅、すなわち、何も得ようとせず、何も悟ろうとしない坐禅を唱えています。「心がすっきりする」等はあくまで坐禅の効用であり、坐禅の目的ではないとご理解ください)。
つい、効果を欲しくなっちゃうけど、ちがうんだよねぇ。
仏教は宗教じゃないという見方がありますが、私も仏教を学ぶ中で似たような思いを抱いています(僧侶がそんなことをいっていいのかと叱られそうですが)。
宗教という言葉を「広辞苑」で調べると、「神または何らかの超越的絶対者、あるいは卑俗なものから分離され禁忌された神聖なものに関する信仰・行事。また、それらの連関的体系 」と説明されています。
仏教には「神または何らかの超越的絶対者」は存在しませんし、「卑俗なものから分離され禁忌された神聖なもの」もありません。
日本テーラワーダ仏教協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老は「仏教は迷信ではないし、信仰でもない。論理的で実践的な心の科学である」とさまざまな著書で語っています。
曹洞宗の具体プロセス
、ここでいう一人前の僧侶とは、葬儀を一人で営むことができ、お寺の住職になれる和尚(二等教師)を指すものとして話を進めます。
さて、在家出身者が和尚になるには、
「出家得度」
「僧堂安居」
「法戦式」
「伝法」
「瑞世」
という五つの儀式、修行のプロセスを踏まなければなりません。
「出家得度」は、師僧から僧名や血脈をいただき、僧侶の仲間入りをする儀式です(この時点で僧籍を取得し、肩書上は僧侶となります)。
お寺に生まれ、跡継ぎとして期待される男子は、子供時代に父親から出家得度を受けるのが通例です(得度は十歳から受けることができます)。
在家出身者にとってはこれが最初の関門であり、まずは師僧を見つけなければなりません。
曹洞宗のホームページでは、菩提寺の住職に相談するか、坐禅会に通って僧侶と親しくなることから始めるよう勧めていますが、それほど簡単ではなさそうです。
師僧とはその後もずっと付き合いが続くので、誰でもいいという訳にはいきません。
続いて、永平寺と總持寺の本山僧堂か、全国に十五ある専門僧堂(うち一つは尼僧堂)で、大卒者は半年以上、高卒者は二年以上、中卒者は三年以上の「僧堂安居」(修行生活)を行います(仕事をすぐに辞められないなどの事情がある場合は、短期間の安居を断続的に続け、通算で所定の期間をクリアする特殊安居という制度もあります。詳しくはそれぞれの僧堂にご相談ください)。
僧堂安居は、曹洞宗の僧侶を目指す者にとって最大のハードルであり、厳しい修行や封建的なしきたりに耐えきれず、途中で辞めてしまう人も少なくありません。
逆にこれを無事クリアすれば、一人前の僧侶になるための大きなヤマは越えたといっていいでしょう。
「法戦式」は、修行僧たちの首座(リーダー)として激しい問答を繰り広げる儀式で、お寺の晋山式(新住職の就任式)などに合わせて行われます。
儀式自体は一日あるいは二日ですが、事前に問答や体の動きを暗記しなければなりません。
九十日間の結制安居(これは現在は形式的なものとなっています)を終えて、師僧の血脈、嗣書、大事の三物を浄書する「伝法」(七日間)に臨みます。
そして、両大本山の永平寺と總持寺で一朝住持(朝のお勤めの導師)を務める「瑞世」を終えると、晴れてゴールとなります。
さて、五つのプロセスを終了するのにかかる時間ですが、大卒者の場合、宗務庁への申請にかかる時間も含めて、最短で一年ほど。
出家得度や法戦式などは、自分の都合だけでは進められませんので、実際にはそれ以上かかるとみた方がいいでしょう。
一方、費用はすべてを合わせて百数十万円といったところでしょうか(最も高額なのは僧堂安居の準備費用で、私の場合、夏冬用の法衣とその下に着る着物、下着などをそろえるのに八十万円程かかりました。ただし、そのほとんどは一人前の僧侶になった後も使用するものです)。
当然ながら、安居期間中はほかの仕事に就けず、無収入となります。
家族と会えないのはもちろん、携帯電話で連絡を取り合うことも原則としてできませんので、金銭面も含め、家族、とりわけ配偶者の理解が必要になると思われます。(中略)
修行僧は上山した順番で序列が決まり、昔の軍隊にも似た厳しい上下関係を強いられます。
年齢や学歴、これまでどんな仕事をしてきたかは一切関係ありません。
新到は古参のいうことに絶対服従であり、文句をいうことは許されません。
正直いって、私にはこれが一番辛かったです。
自分の息子より若い修行僧を相手に敬語で話し、彼らからタメ口で説教を受ける姿は、とても自分の家族やかつての会社の部下には見せられません。
中高年が修行生活を乗り切るには、プライドを捨てることが大事だと事前に聞かされてはいたのですが、葛藤はずっと続きました。
★読んでみよう
「ダンマパダ」の翻訳本である『ブッダの真理のことば 感興のことば』(中村元訳、岩波文庫)です。
私にとってはバイブルのような存在です。
中にはジャイナ教の初期聖典と類似する表現があり、すべてが釈尊本人が語った内容であるとはいい切れないようですが、釈尊の珠玉の言葉が含まれているのは間違いありません。
中村元氏はあとがきで「ダンマパダ」について「仏教の実践を教えた、恐らく最も著名でまた影響力ある詩集」と評しています
得度・僧侶についてご興味がおありの方は、まず下記の「補足」及び「Q&A」をご参考にしてください(住職の主観も入ってます)。基礎的なことはある程度ネット上でも調べられますが、実家の菩提寺や近隣の寺院、僧侶の方とお会いして具体的なお話をお聞きするほうが大事です(宗派教団によって相当異なります)。
その上で、もし具体的にご確認ご相談されたいことがあれば、お尋ねになりたいことに加え、下記1〜6
1ご住所(町村レベル)
2家族構成
3ご実家の宗派
4職歴
5仏教または真宗のどのような点に惹かれたのかきっかけなど
6僧侶としてどんな仕事をイメージされているか
について合わせてお聞かせください(4-6はおよそで結構です)。お問合せフォームよりご連絡いただきましたら、住職がメール相談に応じます。
土葬したいから寺を継ぎたい、では不純なのかな
土葬は環境のためだから不純じゃないよねぇ
まあでももちろんそんなに軽やかにはできない(^^;)