Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

読書メモ  インド・ケーララ州におけるスペシャル・スクールの実践と意義

アジア・アフリカ地域研究 第 21-1 号 2021 年 9 月

Asian and African Area Studies, 21 (1): 1–35, 2021

 

インド・ケーララ州におけるスペシャル・スクールの実践と意義

―その「包摂性」に着目して―

中 江 優 花*

Understanding the Practices and Significance of Special Schools in Kerala,

India: With a Focus on ‘Inclusiveness’

Nakae Yuka*

 

よみます!!

This article examines the everyday educational practices at special schools in Kerala,
India, and their significance for people with disabilities who are registered at the
schools. Kerala is a well-known social welfare state in India with a high Human
Development Index, and its policies are referred to as the ‘Kerala model.’ The trend in
education for children with disabilities in India is Inclusive Education, in which students
learn together in the same school or classroom regardless of their ability. As a result,
normal schools are recognized and studied as sites of Inclusive Education, while special
schools tend to be left out of research agenda. In this article, I reconsider the potential
and significance of special schools on the basis of ethnographic case studies of three
special schools in Kerala and a review of primary and secondary sources related to the
subject. The article addresses how special schools try to include persons with disabilities
in the educational system, and how students with disabilities spend their time there.

 

The findings from my fieldwork suggest that special schools

1) accept students with various attributes, regardless of age, gender, socio-economic level, or disability category,

2) are creating an ‘inclusive’ atmosphere by responding individually, and

3) place emphasis on students’ voluntary interaction and autonomy rather than relying heavily on equipment and environment. As such, special schools can be a place for students to cultivate social skills and learn how to live with their own disability among diverse people.

 

・インドもインクルーシブ教育だけど、依然として,
インド全土において6–14 歳の障害児の34%が学校に通学できない実態がある[Kundu 2019:9].

・インクルーシブ教育を目指すべく通常学校を整備してもなお取りこぼされる障害児は存在している.そのような障害児を教育制度へ包摂しようとしている実践現場のひとつとして,通常学校への包摂を検討するための要素を見出すために本稿ではスペシャル・スクールに着目する.

★disorder もdisability もどちらも日本語では障害と訳されるが,厳密には,「disorder:疾患または変調」,「disability:能力障害」という違いがあり,医療の対象としてのdisorder,福祉の対象としてのdisability という違いがある[小山 2010: 601].(発達障害領域では,医学的にdisorder,教育分野でdisability という使い分けも
ある.)

本論文では,対象としているインド・ケーララ州の当事者が,「disability」も「disorder」も使用せず,障害を「differently abled」または「special needs」と表現するため,本論文では,厳密な使い分けは行なわない.

そうなのかケララ~~


・医療実践をバックグラウンドにもつ筆者は日本のとある公立特別支援教育現場で活動したことがある.そこでは正確な時間割の下,各生徒の発達段階や障害特性に応じた課題が与えられ,自立に向けた訓練が行なわれていた.しかし,筆者がインド・ケーララ州のスペシャル・スクールを初めて訪問した際,授業中に勉強しない生徒が大多数を占め,時には教職員でさえ授業中にスマートフォンを使用するなどといった,一見,学校にはみえない光景が強く印象に残った.また,教職員に「この生徒の障害の診断名は何か」と問いかけても回答が得られないことがあり,ここは障害児教育の現場としていかがなものか,と疑念を抱くこともあった.だがその一方で,このスペシャル・スクールに通学している生徒は,その豊かな個性を発揮し,のびのびと暮らしているようにもみえたのである.「この空間は一体何なのだろう.この空間はいかにして成立しているのだろう.」本論文は,こうした疑問から出発し,訪問したスペシャル・スクールを事例に取り上げ,それをとりまく地域社会における障害観,学校に通学している生徒の背景や周囲との相互行為について分析するものである

 

地域社会!!だよねぇ。

 

・アジアにおける障害者政策は,国連アジア太平洋経済社会委員会(Economic and Social Commission for Asia the Pacific: ESCAP)による「アジア太平洋障害者の十年(1993–2002年)」の取り組み以降,着実に進歩している.その後も10 年毎に行動計画が策定され,2012年5 月には「仁川戦略(2013–2022 年)」が採択された.仁川戦略では,貧困削減かつ雇用の機会を高める,政治プロセスや政策決定への参加を促進する,障害児への早期介入および早期教育を広めること,といった目標が掲げられた[黒田 2017: 6].

 

★10年ごとか・・・ゆっくりだな。そして直近はインチョン‼Korea! 2023以降は・?

 

・インド中央政府は,ESCAP による「(アジア太平洋地域の)障害者の完全参加およ
び平等に関する宣言」に署名したことを契機に,インド国内の障害者権利要求グループ(TheDisability Rights Group: DRG)の活動も相まって,1995 年に国内初の障害者(機会均等,権利保護及び完全参加)法(The Persons with Disabilities(Equal Opportunities, Protection of Rights and Full Participation)Act, 1995:以下1995 年障害者法)を制定し,障害者の権利を保障した.

・さらに,2007 年にCRPD を批准し,新たな国内法の整備を進め,2016 年障害者
(権利保障)法(The Rights of Persons with Disabilities Act, 2016:以下2016 年障害者法)を制定するに至った[浅野 2010: 152, 2019: 55–56; 森 2011: 11].
このように,インドでの教育を含む障害者施策が推進されてきた背景には,国際社会の働きかけに加え,国内の障害者運動が必要不可欠であった.インドにおいてイギリスから導入された「障害の社会モデル(以下,社会モデル)」を掲げた当事者運動が徐々に盛んになったのは1970 年代以降である.

・インドの障害児教育政策が前進したのは1970 年代である.この頃,国際社会では
ノーマライゼーションを根拠に,施設や養護学校へ分離されていた障害児を通常学校へ統合する動き(統合教育)が生まれた.それに呼応したインド中央政府は,1974 年に障害児のための統合教育スキーム(Integrated Education for Disabled Children: IEDC) 3)を実施した.

・しかし,通常学校に勤務する教職員の経験不足や障害の理解不足,障害児が抱える困難さや特別なニーズを共有することの欠如,障害児が通常学校で教育を受けるための環境整備が不十分であったため,十分な結果を出すに至らなかった[Das and Shah 2014: 565].

★これって2026年の日本の多くの学校とそんなに変わらない気がする

 

・現在のインドにおけるインクルーシブ教育に関わる重要な法律として,2009 年に「無償義務教育に関する子どもの権利法(Right of Children to Compulsory and Free Education Act:以下RTE 法)」が成立,翌年施行された.これは6 歳から14 歳までの全ての子どもに対する無償義務教育を保障したものだったが,成立当初,障害児は適切に位置づけされていなかった.
当事者団体からの改正を求める声に呼応し,2011 年のRTE 法改正時に,障害をもつ子どもが,指定カースト(Scheduled Castes: SC), 5)指定部族(Scheduled Tribes: ST) 6)といった社会的不利益を被っている集団のひとつとして位置づけられた.

(SC,STとパラレルな位置づけなんだ・・・!)

・ここでの「インクルーシブ教育」の定義とは,障害の有無という区分に限らず,ジェンダーカースト,社会階層,貧困など,教育機会を剥奪する要因は多様にあるという認識のもと,こうしたあらゆるハンディキャップをもつ子どもが教育の機会から排除されないことが目指されている

 

.政府による法律や教育システムの整備が目指す「万人のための教育」の方針と,インドの障害児教育の実態には乖離が生じている.

この隔たりは,資源や財源不足,あるいは教職員の能力不足に起因するとされる傾向にある.そのため,インドの障害児教育分野における研究者は,インクルーシブ教育の促進のために,行政の問題(法整備の必要性・財源不足・管轄側の連携不足など)や通常学校の教職員の技術不足を指摘するのである[e.g. 古田 2002; Bhatnagar and Das 2013; Kundu 2019: 10].

(これは日本もおなじだよね)

・通常学校の教職員のうち70%が障害児教育のための訓練を受講したことがなく,87%の教職員がそうした訓練へのアクセスが困難な状況になっている.また,全インドで6–14 歳の児童2 億人のうち2 千万人の児童が特別ニーズ教育を必要としており,総入学率のインド平均90%に対し障害児の入学率は5%に満たないとの報告もある[Singh 2016: 3227].

・しかしながら既に指摘されているように,国際社会で議論されている「通常学校を改革すべき」とする理念的な定義にならった 9)インクルーシブ教育は,時にローカルやナショナルな教育に対する考え方に対し摩擦を起こすことがある[黒田 2019: 364]

サラマンカ宣言では,その具体的な方策や定義が提示されなかったため,各国におけるインクルーシブ教育の理解にはばらつきがあることも指摘されている[有松 2013: 50; 大塲 2019: 146–147].

 

・本稿で筆者は,スペシャル・スクールにおいて展開される営みや相互行為の考察に基づき,ある種の包摂的な空間を作りだす実践を見出すということを試みる.その際に参照したいのが,障害者研究の核となってきた社会モデルと,その限界を指摘し,「インペアメント(身体的・機能的欠陥)」 10)への再注目を促した一連の研究である.

そうね―社会モデルも限界はあるよね

・ディスアビリティの撤廃だけでは,インペアメントをめぐる苦痛や個人的経験が看過されてしまう.また,インペアメントとディスアビリティを明確に区分できない知的障害・精神障害を社会モデルの枠組みで捉えることの限界も指摘された[e.g. Crow
1996; 白田 2014: 123].

・西洋を主とする障害学において社会モデルを巡りあらゆる論争が繰り広げられ,現在の障害者研究ではインペアメントへの再注目が促されている[e.g. 榊原 2019;
星加 2007].

こうなると支援学校気になるな~👀

 

.運営者や家族への聞き取り調査には英語を使用し,学校内で
の参与観察では現地語のマラヤーラム語を使用した.マラヤーラム語でのやりとりは,学校の教職員が通訳者として同行した.

この先生自身はマラヤ―ラム語はできるのかな??

・半数以上の68.07%がエルナークラム県都市部に集中している.識字率は95.89%といわれており,男性97.36%,女性94.46%と男女ともに良好な数値を示している.宗教比率は,ヒンドゥー教徒が45.99%,キリスト教徒が38.03%,ムスリムが15.67%となっており,他にもシク教徒や仏教徒などが存在している[Ministry of Home Affairs, Government of India 2011

ヒンドゥが半分以下って少ないね👀

・特に,インド全土においてイスラーム教徒に次いで3 番目に多いとされるキリスト教徒人口のうち約30%がケーララ州に集中しており,他州と比較してキリスト教の影響を強く受けている地域である.(インド全土でイスラーム教徒11.6%, キリスト教徒2.6%[Ministry of Home Affairs, Government of India 2011])

・最新の国勢調査(2011)によると,SC は人口の9.1%,ST は1.45%存在し,各々の
インド平均16.6%,8.6%に対して低い割合である.ただ,その他後進階級(Other Backward Classes: OBC) 16)はインド全土40.9%に対し,ケーララ州は65.3%を占めており,人口の大多数をOBC が占めている[Ministry of Home Affairs, Government of India 2011].

・これは,キリスト教宣教師による低カーストへの布教により,その多くがキリスト教に改宗したことに起因するものと考えられる.

★興味深い。今読んでいるWhy I am a Hinduの著者はMalayalam語っぽいのでケララ出身?

国勢調査(2011 年)によると,識字率に関して,インド平均男性80.9%,女性64.6%に対し,ケーララ州の識字率は男性96.1%,女性92.1%と圧倒的に高い数値を示している.ケーララ州は,2000 年の中央政府による全識字キャンペーン(Total Literacy Campaign: TLC)が開始されるより以前に識字率が90%を超えていた

・義務教育もインド中央政府は8 年と定めていたが,ケーララ州政府は10 年と定めており, 17)中央政府よりも先駆けた教育の普及が達成されてきた[服部ほか 2010: 78].

(日本は9年だから日本より長いね)

・また,男女間格差が低いことでも知られており,男子1,000 人に対する女子比率(2011 年)は,インド平均943 人に対し,ケーララ州1,084人と生物学的に正常に近い数値を示しているといわれている[Ministry of Home Affairs,Government of India 2011].

・こうしたミッショナリーの慈善活動を保護・推進した藩王の政策も重要であった.1810 年代,トラヴァンコール藩王国(ケーララ州南部)とコーチン藩王国(ケーララ州中部)に,西洋の慈善事業の一貫として,近代的な教育がミッショナリーによって導入された. 19)両藩王は,英語教育の普及に携わるミッショナリーに対して財政支援を行なった[Nair 1976: 32].トラヴァンコール藩王国では,1829 年に図書館が開設され,1860 年代には公立学校が開始した[濱田 2008: 275; 太田 2010: 2–3].とりわけ,1860 年代 20)から1940 年代,トラヴァンコール藩王国コーチン藩王国では社会福祉が急速に拡充されたといわれている.両王国では,イギリス政府の圧力が加わったこともあり,藩王によって土地改革や教育・医療の普及などの改革がなされた[Desai 2005: 459]

・ケーララ州の発展は人間開発に基盤をおいてきたことにより,経済成長を犠牲にした
といわれている[Devika 2010: 800; Nabae 2003: 140–141].ケーララ州は,労働組合の強さ,最低賃金の高さといった条件などから,「アンチ・ビジネス」と呼ばれ,外部からの資本が流入せず,伝統的なカシューナッツ産業やコイア産業などが賃金の安い隣の州へ移転していった[濱田 2008: 286].

(なんと・・・経済成長の犠牲ね…それでいい気もするけど福祉をどうやって担保してるのだろう)

・一般に,健康で教育を受けた労働者は経済成長の根源であるといわれているが,ケーララ州は州政府成立から80 年代までは目立った経済成長はなかった[佐藤
2003: 290–291].長らく経済成長が停滞していたことに由来し,若者の失業問題が非常に深刻である[佐藤 2003: 290–292].1999–2000 年のケーララ州都市部での男性失業率は9.9%(インド平均6.6%),女子失業率は41.9%(インド平均16.3%)である.15–25 歳の若年男性,15–30 歳の女性の失業率が極めて高い 21)[濱田 2008: 285–287].
・しかし,1990 年代以降には,第三次産業の成長や人口増加の停滞,そして湾岸諸国への出稼ぎ労働者からの送金が,ケーララ州民の所得向上や,純州内総生産の向上に貢献した

★すでに1990年で人口増加が停滞してるのね!!湾岸への出稼ぎか~~

・こうした湾岸諸国への出稼ぎは,ケーララ州の経済的および社会的生活に深く浸透している.聞き取り調査においても,各家庭で少なくとも1 人は湾岸諸国で職に就いており,ケーララ社会に出稼ぎ労働が根付いていることがうかがわれた.このようなケーララ州内での就業の難しさは,障害者の就業率に顕著に表れている.2011 年の国勢
調査によれば,障害者の就業率のインド平均は約36%に対し,ケーララ州は約23%と大きく下回っている 22)[Ministry of Home Affairs, Government of India 2011].

 

P14

3.2 インド・ケーララ州におけるスペシャル・スクールの起源と歴史的変遷
3.2.1 「障害」をもつ子どもの背景―「障害」とカルマ
なぜ障害をもって生まれたのか.ヒンドゥー教の古典では,「カルマ(業)理論(theory ofKarma)」 23)との関連が重視される[e.g. Addlakha 2013; Gupta 2011; Mehrotra 2008; Shenoy 2016].カルマとは,前世や過去の行ないが現世や現在に影響を与えるという考え方であり,良いカルマ(good karma)は良い行ない(good deed)に基づき,悪いカルマ(bad karma)は悪い行ない(bad deed)によって引き起こされるとする[Gupta 2011].カルマ理論は輪廻転生の原則に準じており,人間の不幸は悪い行ないによってもたらされたものである[Shenoy 2016: 144].

その一方で,カルマ理論に基づき,現在の生活状態を改善する方向への努力を導き,障害受容を導くこともある.それが正しいか否かは別として,カルマ理論は,人間のあらゆる苦しみを説明づけることができる[Mehrotra 2008: 40].
調査地において「障害」の経験や受容がカルマ思想とどのように関係しているかは今後の継続的な調査が必要であるが,訪問した3 つのスペシャル・スクールおよびその他の民間団体への聞き取り調査からは,同地域においてもカルマ理論との関連において,「障害(disability)」はネガティブな属性と捉える傾向が根強かったことがうかがえた(詳細は3.2.2 節参照).インドの他地域での調査研究からは,「障害」をもつ子どもは家族にとって「恥(shame)」や「スティグマ」「不名誉(dishonor)」とされることや,家族の名誉を守るためにも,「障害」をもつ子どもが家の中に隠されていたことが報告されている[e.g. Gilbert et al. 2004; Gupta2011; Shenoy 2016].

★それはしんど過ぎる(T_T)いまもそうなのかな???インド人のソーシャルワーカーの友だちが働いている組織のインスタはもっと明るい雰囲気だけど

 

p15

・1937 年,マドラス管区の精神病院が知的障害児(5–17 歳)のための授業・訓練をはじめ,歌やダンス,手芸などのリラクゼーションを主とするプログラムを提供していた[Miles 1997: 44].これらは英領統治政策の下ミッショナリーによって導入されたのだが,1960 年代までにインド全土で知的障害のみの施設はほぼなかった.

・盲・ろう教育に比べて知的障害児への教育支援の導入が遅れた理由として,公式な知的障害の診断がなかったことが挙げられている.1927 年に初めて英語版の知的障害児の診断が導入され,1929 年にヒンディー語ウルドゥー語版が導入された[Miles 1997: 42].

 

・1970 年代,国際社会ではノーマライゼーション理念を実現すべく,統合教育を推奨す
る動きが活発になり,この流れを受けたインド中央政府は,1974 年にIEDC を実施した.同時期,ケーララ州政府は通常教育のシステムの中に障害児を組み込み,全ての子どもに教育を提供する統合教育に取り組み始めた[Anjana 2005: 9].州政府は統合教育スキームをいち早く活用し(1999–2000 年度には全体予算の18%を受け取っていた[古田 2002: 226]),その資金をスペシャル・スクールの運営にあてていた[Anjana 2005: 9].
・1980 年に設立されたA・スペシャル・スクールは,ヨーロッパから帰国した神父によって設立された.この時期,同地域にスペシャル・スクールはなく,近隣に住む自閉症の子どもが教育を受けることができなかったことを気の毒に思い,設立に至った.

 

・聞き取り調査では,息子が「障害」をもって生まれた直後は全てを受け入れることができなかったが,スペシャル・スクールに通学し始めた後,できることが増えていき,今は彼と暮らすのが幸せだ,という回答が得られた.スペシャル・スクールが家族に「障害」の受容を促すような役割を担った事例のひとつである.25)

「・スペシャル・スクールの校長先生への聞き取り調査より(聞き取り調査実施日2019 年3 月12 日).この校長先生は,カルマ理論との連関において「障害」を捉えるのは古い昔の風潮だと主張していた.」

 

受容ねぇ~~受容もいったりきたりだし、受容させるのがゴールであるべきではないと思うこともあるけど

 

・知的障害を対象としたスペシャル・スクールは,2000 年から州の教育機関として登録が認可され始め,初年度に認可された学校は100 校以上あった[古田 2002: 230].その後,現在に至るまでスペシャル・スクールは増加し続けている.
増えてるのは日本も同じかも。ん。支援学校は増えているのかな日本。支援学級はふえてるけど。

 

・N・スペシャル・スクールの校長先生によれば,1990 年代に近隣の子どもたちのための小さな塾を開いたが,最初に入塾を希望した生徒が注意欠如・多動性障害(Attention-Deficit Hyperactivity Disorder: ADHD)をもつ生徒だった.その生徒は,他のいくつもの学校で受け入れを拒否され,たらい回しにされていた.校長先生は,障害をもつ子どもへの指導方法を知らなかったため困惑したが,その親子を不憫に思い,受け入れを決めたそうである.これ以降,校長先生は専門教員の養成校で障害児教育を本格的に学び,2015 年にN・スペシャル・スクールを設立するに至った. 29)

 

・p17.   2016 年現在,スペシャル・スクールは,インド全土で約3,200 校,ケーララ州では約400。世界銀行の推計によると,ケーララ州の学校に行けない障害者の割
合は27%であり,インド平均の53%より良好な数値を示している

10年経ってもっと増えているかな。

 

4.K・スペシャル・スクールの実践―その「包摂性」に着目して
4.1 K・スペシャル・スクールの概要
K・スペシャル・スクールは,2001 年にK 島の中でも経済的後進地域の村落部に設立された島で唯一のスペシャル・スクールである.この学校は,カトリック系慈善団体によって運営されており,2002 年8 月14 日にケーララ州政府教育局の認可を得た教育機関である.主な財源は,州政府から支給される補助金と慈善団体への寄付金である.現地で“special educatorと呼ばれる資格をもつ19 人の教員,Physiotherapist(理学療法士)1 名,Speech Therapist(言語聴覚士)1 名,補助スタッフ(事務職員や調理師など)13 名の合計34 人の関係者が勤務

・運営側への聞き取り調査によると,受け入れに際し,宗教やカースト,年齢,障害の種別に関して制限を設けていないという. 31)

・生徒の年齢層は,4 –59 歳までと幅広く,2019 年時点で,169 人の生徒が通学しており,男性103 人,女性66 人である。設立当初は,たった3 名の生徒しか在籍していなかったが,近年生徒数が増加し,大半の生徒が卒業せず通い続けている

★卒業しなくていいんだ!!👀

 

・宗教別にみると,ヒンドゥー教徒が90 人,キリスト教徒が45 人,ムスリムが11 人在
籍している.社会カテゴリーにおいて,OBC が91 人と圧倒的大多数を占めており,つづいてOther Eligible Caste(以下OEC) 32)が占め,SC やST なども通学している.

 

カーストでは,Ezhava と呼ばれる小作人カースト,Dheevara/Araya と呼ばれる漁民カースト,Pulaya と呼ばれる指定カーストが多数在籍しており,漁民カーストなどの低カーストが多いといわれるK島の地域性を表している.障害の種別に関しては,自閉症脳性麻痺,精神発達遅滞(Mental Retardation: MR),ダウン症などを対象としており,全生徒のうち大多数の150 人がMR の診断を受けている 33)(表2 参照).

★MRって日本でもある??日本では知的障害っていうからあんまり聞かなかったのか・・Retardationっていまでもつかう言葉なのかな…ちょっと気になっちゃう。

 

・クラス分けは実年齢と精神年齢を考慮されており,おおむ
ね18 歳以上の生徒はvocational class(就業訓練クラス)で紙袋やキャンドル作りといた就業訓練を受けている.18 歳以下の生徒は,生徒の理解度に応じ,識字訓練やチャイ作りといった生活実践的な授業,環境保護や保健体育。

 

4.2 ここは本当に学校なのだろうか
「ここは本当に学校なのだろうか.」それがK・スペシャル・スクールの第一印象 34)だった.この学校は,毎朝,インドの誓約と国歌斉唱,準備体操(準備体操は月曜日と木曜日のみ)に始まり,その後,各クラスで授業や就業訓練が行なわれる.昼食の時間には,各クラスで給食の配膳があり,給食の後は休み時間となり,グラウンドに出る生徒も多数いる.昼食休憩の後は,家庭菜園の時間となり,教職員や力のある青年たちが庭の植物の手入れを行なう.そして,再び午後の授業が始まる(図4 参照)(写真1).
だが,実際には,授業に参加している生徒がほとんどいないのだ.
たとえば,Secondary Class 35)の授業時間.この日出席していた生徒8 人のうち,授業を受けていたのはたった2 名であった.この2 名にはそれぞれ,英単語と筆算の問題を解くよう指示され,ノートに問題を解いていた.しかし,この間,残りの6 名はただ席に座っているだけである.勉強していない生徒の方が大多数を占めている.彼らは何のために学校に来ているのだろう,と筆者は疑問を抱かざるを得なかった.

 

p21・日本の特別支援学校を見ていると授業や学校空間は教職員が先導して作り上げ,全生徒が平等に参加できるような「合理的配慮」 38)に基づく環境整備を行なうものだと思っていたが,このスペシャル・スクールではそういった教員による工夫がみられず,学校運営の一部を生徒にゆだねているようにみえたからだった.この学校では,筆者が思い描いていたような授業とはかけ離れた光景が度々みられた.

.生徒
の自由が許され,勉強することが強制されていない.沈黙が続き,暇をもてあましていたら踊
り出しても良い.果たして,この一見遊んでばかりにみえる学校は,通学している生徒当事者
にとっていかなる意義があるのだろうか.勿論,教職員は何もしていないわけではない.で
は,どのように生徒と関わっているのだろうか.以下では,生徒や教職員に焦点を当てた事例
を記述,分析しながら,学校内部のアクターの相互行為や生徒にとっての意義について考察し
ていく.
4.3

知的障害児を主としつつ,肢体不自由児や視覚障害児,聴覚障害児も在籍して
いる.またその障害の程度も幅広く,常時付き添いが必要な重度の障害を抱えた児童もいれば,「落ち着きがなく通常学校のパソコンの授業についていくことができなかった」という理
由で転校してきたボーダーラインの児童も通学している.このように多様な生徒が混在してい
るため,日本のインクルーシブ教育実践の事例で挙げられるユニバーサルデザインのような画
一的なプログラムを提供するには困難を極める

★そもそもUDとかインクルとかは幅広過ぎると無理…なのか????

 

 

インドにおいて,障害と貧困は強く関連づけられており,貧困層の障害者は,経済収入が
乏しいことや,教育を受ける等の社会参画が難しいことが指摘されている[Thomas 2005: 5;
Das and Shah 2014: 574].また,「障害」の程度においても,四肢麻痺といった非常に重い
「障害」をもつ子どもは,学校へのアクセスが難しいと考えられる.こうした貧困家庭の「障
害者」や重度の「障害者」に対し,ケーララ州のスペシャル・スクールはどのように対応して
いるのか.

K・スペシャル・スクールは,漁村やココヤシ農園の近くに存立しており,大半の生徒の家
庭は比較的貧しい.漁村部やダリトは州政府主導の人間開発政策の恩恵を受けてこなかったと
いわれており[Devika 2010: 803],この島は,州政府からの支援が届きにくい背景があった
とも考えられる.学校は,給食を無償で提供し,教材費なども強制的に徴収していないが,毎
日学校に通学するには交通費が必要である.一部の貧困層には,毎日学校に通学するための交
通費を支払う余裕がない.
,通学はできないが,学校というひとつの大きなコミュニティに
認識されている. 42)学校を介して行政や他の民間団体によるサービスに関する情報を入手した
り,彼女を介助する家族の身に何かが起こった際に学校からの介入を享受する可能性が考えら
れる.

 

.一見何もしていないようにみえた教職員だが,そのまなざしは生徒ひとりひとりを捉えており,個々の能力,インペアメントの程度を理解し,各々の生徒の潜在可能性を引き伸ばすような教育・訓練の提供を目指していると考えられる.
そりゃそうだろう。。

学校の教職員や校長先生,他の生徒の見方は全く異なっていた.そもそもアンジュが
自閉症かどうか,という説明はなされなかった.授業中ボール遊びをする彼について,「あの
子はボールが好きだからね」と教職員は笑い,ボールがアンジュの視界から見えなくなり泣き
そうな顔をした時は,教職員は急いでボールを回収してアンジュに渡す.ボールを再び手にし
たアンジュは嬉しそうな表情に戻り,再び,ボール遊びに没頭する.ボールにしか興味を示さ
ないことについて,咎める者はいない.また,ボールを投げつけられた周囲の生徒が怒ることもない.むしろ,投げられたボールを投げ返してキャッチボールをしたり,さらに他の生徒が
集まってきてそのボールでラグビーのような新たな遊びが展開されたり,まるでボールを通じ
てアンジュは他の人と会話をしているようだった.
アンジュにとって,「ボール」は「言語」に代わる重要なコミュニケーション手段であるこ
とを周囲が自然に理解しているともいえる.そのため,この学校の空間内において,アンジュ
にとっての社会的障壁(ディスアビリティ)が存在しない.彼がもつ「話すことができない」
という機能的欠陥(インペアメント)も,「ボール」という代替手段で補完されている.アン
ジュという個人の特性への個別的な対応により,アンジュがもつ「実はコミュニケーションが
できる」というポテンシャルを引き出している.ここでの生徒を含む内部アクターは,障害や
診断の同定にこだわらず,生徒が抱える困難さや潜在可能性を具体的な相互行為を通じて自然
に理解しているといえる.
だが,その一方で,こうしだが,その一方で,こうしたインペアメントは常に好意的に受け取られるわけではない.ア
ンジュは,ボールが手元にない時,筆者のスマートフォンやカバン,他の生徒の靴下や靴,筆
箱などあらゆるものを投げることがある.アンジュが他の生徒の私物を取って投げようとする
と,教職員は厳しく叱りつけ,木の棒を振りかざすことで行動の変容を強く促す.木の棒を見
たアンジュは手に取ったものを置き,両手で耳をふさいで走って逃げ回る.「ボール」を投げ
ることは「言語」に代わる会話の手段として許されるが,「他の人のもの」を取って投げるこ
とは許されないのである.教職員は,アンジュの「ものを投げてしまう」というインペアメン
ト自体を否定しているわけではなく,インペアメントによって引き起こされる事象(この場
合,周囲への危害または迷惑行為)に基づいて,放任したり,厳しい指導をしたりする.この
事例からは,一見自由にみえるこの空間内にも,ある程度の規範が存在していること,そし
て,周囲の生徒とのやりとりや教職員による文脈に応じた対応や叱責の中で,彼が,他者や世
界との関わり合いを学んでいることがうかがえる.

 

生徒と教職員(メアリー先生とロバート),生徒同士
(シャヒードとヴィシュクや,アンジュと彼をとりまく周囲の生徒)の間でも,各々のインペ
アメントや能力を補完し合うことで,ディスアビリティを乗り越えるさまがみられる.こうし
た双方向的あるいは多方向的な「配慮」は,特に生徒に関していうと,規範や規律の結果とい
うよりも,相互行為を重ねる中で生み出された「もののやり方」のように見受けられる.

 

スペシャル・スクールは,インドのインクルーシブ概念が意味する「あらゆるハンディキャップを
もつ子どもがアクセスできること」を目指す教育現場とも捉えられる.このようなスペシャ
ル・スクールは,当該地域固有の文脈での「インクルーシブ教育」を担う教育機関として意味
づけられてきたといえるだろう.

まあそうともいえるか

 

 

★あたらしいまなび

・1970年代からNormalizationの理念で動いているのは世界の流れと同じ

・カルマ…

・通常の学校が変わるべき、がインクルーシブ教育だけど、そのハレーション?

・イギリスの影響、キリスト教の影響。神父さんが学校作るなど。

・実践についてはなんかな~~~あんまりぴんと来なかった。UDと個別対応両方が必要だと思うが・・・二者択一じゃないよね。。

★Baby Action

・Hm.とくにない。。他の論文も見てみてもいいけど

 

白田幸治(2014)の論文「障害の社会モデルは解放の思想か?-精神障害の捉えがたさをめぐって」は、身体障害を前提に構築されがちな「障害の社会モデル」の視点を、精神障害の特質(症状の捉えがたさや身体機能の制限と一律に結びつかない点)に適用した際に生じる矛盾や限界を批判的に考察した論考です。 
概要: 社会モデルは障害を「社会的な障壁」によるものと定義し、解放の思想とされてきたが、精神障害のような生活のしづらさが環境変化だけで解消されないケースでは、社会モデルによる「環境さえ変えれば障害はなくなる」という言説が、逆に当事者の苦痛を隠蔽・否認する可能性があると指摘している。
「捉えがたさ」の議論: 精神障害が持つ、内部的・主観的な苦痛や不安定さを、外部環境の修正(バリアフリー化など)のみで解決可能な「障害」として一律に括ることの是非を問うている。
結論の方向性: 社会モデルが全てを解決する万能な思想ではないことを認めつつ、障害の「捉えがたさ」を保持したまま社会モデルの知見をどう適用していくかという課題を提示している。 

ほんとそうね。だからさーASDとかはまじで社会モデルだけではどうにもならんよ。