中世にちなんだ地も多数存在する唐津。唐で密教を学んだ空海が帰国の際に刻んだとされる鵜殿石仏群は、真言密教の信仰の場となりました。大小60あまりの磨崖仏は風化による影響が少なく、繊細な彫刻跡や色彩を見ることができます。
唐津駅から50分電車か…ちと遠いけどエネルギーありそう。
初日に行くのありかも
「魏志倭人伝」にクニのひとつとして記載されている末盧国(まつらこく)は唐津にあったとされ、原始時代の重要な文化財が多数発掘されています。菜畑遺跡(なばたけいせき)は、日本最古の水稲耕作遺跡。末盧館では、菜畑遺跡の出土品や資料の展示に加え、竪穴式住居や水田などが復元されています。
https://www.karatsu-kankou.jp/sp/guide/history/
桃山時代から遡り、古い歴史を誇る伝統工芸「唐津焼」。諸説ありますが、近年の研究によると、1580年代頃、岸岳城城主波多氏の領地で焼かれたのが始まりとされています。その後、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮陶工を連れて帰り、その技術を取り入れたことで唐津焼は生産量を増していきます。
唐津港から積み出される唐津焼は京都・大阪をはじめとする西日本に広がり、焼き物のことを総称して「からつもの」と呼ぶほどに。また、茶道の世界では古くから「一井戸二楽三唐津」と言われるように、茶人たちから愛される茶陶としてその地位を確立
唐津焼は"土もの"と呼ばれる陶器です。ざっくりとした粗い土を使った器は素朴かつ力強い印象を与え、今も昔も人々をひきつけてやみません。茶陶として発展した唐津焼ですが、生活の道具としてさまざまなうつわが存在します。また、唐津焼の大きな魅力は「用の美」を備えること。「作り手8分、使い手2分」と言われ、料理を盛る、茶を入れるなど使ってこそ作品が完成します。近年では、酒器(ぐい呑み)としても人気です。
かつて城下町、石炭積出港の町として賑わった唐津は、至る所に当時の名残があります。1608(慶長13)年に初代唐津藩藩主・寺沢広高が築城した唐津城は、町のシンボルとして多くの人々に愛されています。
炭鉱王として成功した高取伊好が住まいとした旧高取邸、唐津が生んだ偉大な建築家・辰野金吾が監修した旧唐津銀行は、石炭産業の発展を象徴。曳山展示場では、豪華な曳山から唐津くんちにかける人々の情熱を感じることができます。
美術ホールを備える唐津市近代図書館では随時、展覧会が行われています。ほかにも、唐津が生んだ演歌界のスターを偲ぶ村田英雄記念館、日本列島と朝鮮半島との交流史を学ぶ名護屋城博物館など、さまざまな発見があなたを待っています。
九州の北西部に位置し、古代より唐(から:韓・唐)など大陸への玄関口(津・港)として栄えてきた唐津。多彩な文化が育まれてきた一方で、豊かな自然によって多くの恩恵がもたらされています。
呼子朝市いきかた
https://www.asobo-saga.jp/articles/detail/04585039-bec2-45a1-b115-639a70c9a7eb
朝市が賑わう10時頃までに、呼子に到着するようおすすめします。
七時にあくなら朝行きたいな〜
JR唐唐津駅北口を出たら唐津市役所方面へ。まっすぐ進んで徒歩約8分、市役所のすぐ東側に唐津バスセンターがあります。
大手口(唐津バスセンター2番乗り場)
湊・波戸岬線
呼子朝市の歴史は、捕鯨で大いに栄えたこの地に、水揚げされる海産物と近郊で作られた農産物を交換する市が発生したことに始まるそうです。その当時から朝市に集まる人びとは、お買い物だけでなく出会いやふれあいを楽しんでいたのかもしれませんね。自家製のイカの一夜干し、みりん干し。ひと味もふた味も違います
キャッシュ!
乌贼
wūzéi
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