Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

即非京都…循環と転回

即非京都…循環と転回

 

無意味だと思っていたものが繋がり直す、
というステートメントがとても印象的だった。


大量に写真をとり続けても何も生まれない苦悶…
The more beautiful a picture looked, the more empty it felt...

 

停滞を感じている日々は、
なかなかにbipolarみたいで苦しいこともあるけれど。

 

違和感も、それは違うとわかる/確認できることに意味があるかもしれないし、
かのじょたちのように、再統合されるのかもしれない。

 

京都盆地の地下には京都水盆がある、と、あるとき記事を読んだとか。
そこから天地が逆転するような意識の変換。


同じ景色を見ていてもくるりと。
転回。

 

地下水と水循環
気づいたら調和を持ってたち現れる
作家がつくりあげたというよりそこにあって、ただ、長い道のりを経て帰ってきた。

 

絶えずうつろう鴨川
再生


2017も鴨川をただ眺めていたんだよね
いつ回復するのか分からない、

ぐるぐる不安の中で
少しずつ少しずつ要らない皮が剥がれて流れていく
あの時より、若くないとも言えるけど、
あの時より、人に頼ることをおぼえている

 

固定観念を壊して写真表現の本質を見直すための試み

こわして!

本質を、みなおす

 

新しい観点や視点、世界認識
非限定的な世界

 

投影された写真は、大きなスクリーンだけでなく、空間をあけて何層にもなった30-50センチくらいかな、の、布にも映し出され。
横にいくつも通された糸もきらりと光り。
重層的で幻想的な世界。

 

 

Jifei Kyoto, which " is/not photography" is a process and inescapable future

即非
"通常の論理は分別知の論理であるのに対して、即非の論理は分別以前の論理、あるいは無分別の論理だとした。分別の論理が、対象を文字通り分節化するのに対して、この即非の論理は分節化以前の直接的な経験を大事にする。大拙はそれを、主客未分の状態だと形容した。この考え方は、西田の直接経験に通じるところがある。"
https://philosophy.hix05.com/Japanese/daisetsu/daisetsu06.html

分類やラベル付けできない直接的な経験…

 



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