Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

コーランには本当は何が書かれていたか?


コーランには本当は何が書かれていたか?
If the ocean were ink

最近仲良くなりつつある人がけっこう真面目なムスリムだったりして、
イスラムのこと何も知らない…と思って読み始めている。

幼少期にイスラム圏で過ごしたアメリカ人のジャーナリストが、インド人のムスリムのおじちゃまと対話しながら、自分の内面での葛藤も描きながら書いていて、すごく共感する。多文化共生ってなんやろう…というもやもや葛藤も分かちあえる感。

 

コーランアラビア語で読めたらいいなぁ。
少なくとも翻訳でも、コーランそのものを…読み直してみよう、バーレーンで入手した英語のコーラン


アラビア語はシンプルだよ、と、イラク人。

そうなのかも、なぁ。

 

ピピピと感じたところの抜粋メモ、自分用ですがっ

***

p12
コーランは7世紀に隊商貿易に携わっていたムハンマドへの一連の啓示として始まった。
驚いたことにコーランを読む人はほとんどいない…コーラン研究者の多くが古典アラビア語の意味不明箇所につまずいている…


■古いインドのジョーク
一人のヒンドゥー教徒が、隣人のイスラム教徒にコーランを貸してもらった。読み終わった後、ヒンドゥー教徒は、別のコーランも見せてもらえませんか、と尋ねた。イスラム教徒はコーランはひとつだけです。ほら、それ。と言った。ヒンドゥー教徒はこれは読みました。でも私が読みたいのはイスラム教徒が読んで従っているコーランなんです。と言った。…ジハードだイスラム国家を作るだなんていう話はコーランの中にはないのだ。😳😳😳


モハンマド・アクラム・ナドウィー師
ウッタルプラデーシュのひと!
インド人!🇮🇳
このちっぽけな地球、こんなのはあなたの場所ではありません。あなたがここにいなければならないのはほんのちょっとの間だけ。ここは試験場のようなもので、
その後あなたはあなたの本当の場所に帰るんです。

自分自身の信念について再検討するというのは西洋の世俗の伝統の中核を成す姿勢である。
先が見えなくなるというのは神の力が働く徴候でもある。
それはまたコーランのいくつかの最も魅力的な節のテーマである。


P.42

イスラム教徒が毎日17回唱える開端章。
その最後の三行を宗教間の敵意をあおるものだと解釈する人がいる。だがそれはその後の章句を無視した間違った読み方である。イスラム教は協調をこそを重視しているのだ.

イスラム教徒は16億。信者数の伸びは現代社会で最も速い。
9.11後の戦争
イスラム問題はヨーロッパ各国の議会とアメリカの選挙における決定的な問題である。

コーランには力強さと詩情がある。

 

P45
信仰を普遍的人権と一致させようとしている人達もいます。小規模ですが、改革主義の運動がある。女性、同性愛者、少数派がコーランに立ち返ってそれを自分で読もうとしている。モッラーの言う通りに受け取るんじゃなく自分で考えてみようと。

 

P50
コーランの最初の章句
慈悲あまねく慈愛深きアッラーの御名において
称賛はアッラーに帰す、諸世界の主に
慈悲あまねく慈愛深き御方、
裁きの日の主宰者に。
あなたにこそわれらは仕え、
あなたにこそ助けを求める。
われらを真っすぐな道に導きたまえ。
あなたが恩寵を垂れ給う者たち、
御怒りを被らず、迷ってもいない者たちの道に。

★あなたにこそわれらは仕え
という句は、
われらはあなただけを礼拝する、
とも訳される。


(意味1)
アラビア半島のアラブ諸部族の古き多神崇拝を唯一の神の信仰に置き換え、
個人個人を部族から放って一つの信仰共同体にまとめる。社会秩序の再考。
人々が部族や家族の一員という以上のものになった。唯一の神の存在の信仰で一つになったムスリムと呼ばれるコミュニティになった。
以前→何百ものマイナーな神々の礼拝していた。
アラブ、多神教だったんだ😳😳😳
なぜ?アミニズムが自然?

 

(意味2)
人はいかなる天使も、資産家も権力者も礼拝してはならない。イスラム教徒は神にしか服従しない。
だからアラブの春の反逆からイスラム女権運動まであらゆるものが正当化できる。
神中心の世界では何人も他人を支配する権利を持たない。創造主の前にすべての人は平等だからだ。


★これはキリスト教とも似ている
高校の時のすごい優しくてまっすぐな先生(クリスチャンだった)もこんな感じやったから生徒の私たちを対等に見てくれたなぁ。

 

イスラムは平和という意味のアラビア語の派生語であり文字通りには服従を意味。
礼拝という言葉アラビア語ではイバーダート→完全な屈服というような意味。
神に対してのみ行うことの許された振る舞い。
イスラムという言葉はキリスト教ユダヤ教のような人物を指すのではなく、
神と信者との"関係"を示す言葉なのだ。
素敵な😍

 

ユダヤ人がイエスキリストを拒んだので神はユダヤ人に対して怒りを表した。
神の恩寵はいつでも撤回されることが可能。
迷った者たちには恩寵を与えない。
迷った者…キリスト教徒をさすと考える人達もいます。キリスト教とは極端に走りました。預言者であるイエスを神と混同したのですから。
私たちはユダヤ人とキリスト教徒を尊重しています。
…矛盾してる?神の恩寵を受けない人も尊重はするということか?
でも、イラク人の友達は、クリスチャンとも付き合うことできるといってたけどなんか、神の恩寵受けてる仲間じゃない人と付き合っても大丈夫なのか?

 

P55〜イスラム教と他の宗教の協調可能性
●開端章の最後の行に潜在的に宗教間の敵意を煽るような読み方があり得るということ…
勉強するということは、私自身の寛容さの限界を試すことに他ならない。
私は文化の多元主義を信じてきたが、放っておいたらそうなったまでのことで、つまりそれは世界のあちこちを歩いてきた人間の習慣なのであって、
自己の信仰について身に突き詰めて考えた結果ではない…!!!
それは昼食に食べるタコスであり、ヨガ教室で唱えるマントラのオームであり、花粉症の季節に飲む漢方薬であった。
(*それってすごく日本人の宗教観と似ているかも)
多様な世界観に触れてきた自分の態度が見せかけの多元主義に過ぎなかったことを思い知らされた…
自己イメージで自分は多様性を賞賛する人間だった。
しかし実際には私の世界観もかなり偏ったものだったのだ。
(それはとてもショックだろうな…といううか私も多元主義信じつつ偏っている人間のひとりなのだと思う。偏りのない人間いないしな。。)

 

●20世紀のイスラム教改革主義者ファズルル・ラフマーンの入門書
コーランの第2章から次の章句を引用。
"まことに信仰した者、戻った者たち(ユダヤ教徒)、キリスト教徒たち、サービア教徒たちで、アッラーと最後の日を信じ、善行をなした者、彼らには彼らの報酬が彼らの主のもとにあり、彼らに恐怖はなく彼らは悲しむことはない。
どの集団に属しているのであれ、神と最後の審判を信じ、善行をなす全ての人が救われる
イスラム教が宗教間に協調をもたらすものであることを、ここから信じることができる。
(*いろんな解釈がある…のだろうね)

 

P.72
イスラム教徒もわれら庶民と同じように(!)株式を買ったり、ネットを使ったりジムに行ったりする 。
(株買うんだ?!イスラム金融、利子はNGと聞いたことあるけど…)

 

P73
メディアや、「文明の衝突」を持ち出す人々によって使い古されたお決まりのパターン…穏健派/原理主義者?リベラル/保守派?と言った言葉で人(ムスリム)を分類するのは、今やあまりにも容易い
(私もイスラム教というと文明の衝突持ち出しそうになるタイプかも…)

 

P74
イスラム教の思想家を西洋の枠組みで捉えようとする努力は不毛だ。
イスラム教はものさしのあれこれの位置にプロットできるようなものではない。イスラム教徒の中には厳格な直解主義の伝統に属しつつ、大い女権を擁護する人たちもいる。神秘主義的で同時に政治的な人たちもいる。どんな組み合わせもありえる。だからキリスト教を無条件の土台にした概念をあてはめようとすれば絶対に失敗する
(*既存の西洋の枠組みからはずれてる、うむ。枠組みにはめこもうとすることがそもそも無理だ。自分のことだって。)

 

P76
アラブ人は、預言者ムハンマドは同胞である、コーランの言語アラビア語は自分たちの母語であると主張できる。しかしインドのイスラム教徒はそれが出来ない。だからムハンマドコーランを守ることが重要な文化的トーテムとなる。

アクラムは悪魔の詩論争に関与せず…
そもそも悪魔の詩論争わかってない😑😑

ムハンマドのスンナ(言行)
スンナとはもともと行ったこと言ったこと、なのね?

 

P84
ムハンマドborn in メッカ
幼くして孤児に(なんでだろう?家族がすごい強い文化の中で…たいへんやったのかな、祖父や伯父に保護されたらしい)
サディク・アミン(信頼できる人…*ヒンディーの、素直な(サダ)、男の人(アドミ)と似てる!)
マリアのところに天使ガブリエルがきたシーンと、ムハンマドのところにガブリエルが来てよめといったシーン、にてる。ムハンマドもマリアも、何も知らないのになんで?ってなる
ムハンマドが神の啓示を受け取って教友に
伝えていた時代はアラビア半島多神教!!!&ムハンマド平等主義⇔階級制度な社会背景
エスと同じくムハンマドの初期の仲間は社会の被抑圧、貧困層
家族や部族ではなく信仰を基礎にした共同体
(😳家族部族やないん?!しかし今は信仰によって強められた家族部族の絆がベースとして強そう)

 

P88-89-
テロリストの宗教という今日のイスラム教のイメージは十字軍以来の伝統の枠内にある
コーランそれ自体と同様、ムハンマドの生涯も内容豊かで、人はその中からおよそいかなるものも読み取ることができる。
人々はムハンマドに、政治家、外交官、戦士、家庭を大事にする男、多妻主義者、人権を擁護する人、革命家…といくつもの役割を当てはめてきた。
が、むしろ論者はそれを通じて自分について語っているのかもしれない。
(*十字軍から…根深い!!コーランに限らず、好きなように引用して解釈するのは人の常かも。。)

ムハンマドの死後、コンパニオン(…素敵な言葉!弟子より民主的で、信者より親しみがこもっている)…コンパニオン達はムハンマドの言動を細かな部分まで思い出せる限り記録した。ムハンマドの言動を集めたものがハディースとなりその全体がムハンマドのスンナとみなされている。
ハディース集にはムハンマドはどのように食事をし、性行為を行い、体を洗い、主を賛美したかなど、あらゆることが含まれている。
(ほんとに日常のすべてって感じ…)

コーランは道標、方角を示すものであって、法律ではありませんと、アクラムは以前私に言った。
(そうだよね、だからムスリムの在り方がほんとーーーに多様なのだろう)

 

 

切れ目わるいけどto be continued 😋