Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

愛情表現について思うこと

 
愛情表現について思うこと。


尊敬している、中南米にルーツがある方は、
お子さんにいつもハグしたり、Te quieroって伝えたりするそうだ。


ハグは、 職場でもスペイン語のスタッフさんが出勤の時はよくする。( わたしたちも)

 

愛情表現、愛情の量?というか質とか、

伝えることに関するハードルとか、

違うのかなぁ。


私はどうなんだろう?
原家族に対しては、ありがたいことに、

おだやかな愛情を感じられるようになってきている。


それは時々帰省したり、メールしたり、電話したり、 そういう形で表現している。


すっごく辛かった時は、思い切って、私のこと好き? ときいてみたりもした。
かなり恥ずかしかったけど。

でも、「好きやでー」と言われて、 そうやったんや! と思って、すごくほっとしたし、聞いてよかった!と思った。


とはいえ、日常的に好きとか愛してるとか言い合うことはない。


日本人以外の人と付き合っていたときも、

個人差なのか国の文化差なのかわからないけど、
I love youってすごくいう人とそうじゃない人がいたし

日本人でも、 好きだよってよく言う人もいれば、そうじゃない人もいた。


私自身は、言いたくなるか、言うか、というのが、相手と、 その時の気分・タイミングによりけりだ。


じんわり家族的な愛情もあれば、情熱的なものもあれば、 平熱なものもあれば。

伝え方も、言葉や、ハグや、ギフトや、 時間を一緒に過ごすことや、いろいろだ。

 

私の場合、 自分の中で一貫しているというより、 相手によって愛情の種類がちがう気がする。

それが相手のニーズと必ずしも合わないのが悩ましいのだけど。

 

あまりに、愛してる?って聞かれると、

重荷に感じてしまって逆効果だったり。

それは元から愛情が足りなかったのか? と、

自分の愛する能力に疑義をもってしまって、しんどかったり。

 

瀬戸内寂聴さんの「愛する能力」が気になっている今日この頃。


Love languageを今いちど、確かめてみたいと思った。