Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

シアター・プノンペン-タブーな歴史から、語られるものがたりへ

蓋をしたい過去はありますか?

薄れることを願う痛みはあるかもしれない。
でも、本当は蓋をしたいのではなくて、
消化して浄化して昇華したいんじゃないかな。

 
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ソト・クォーリーカー監督。
タブー視されて語られなかったクメールルージュの歴史をと向き合った作品。

 

シアター・プノンペン [DVD]


女優だった母。映画監督だった愛する人をクメールルージュに殺され、
軍人である夫に、ある意味拾われ、助けられ、嫁いだ。
奪われた過去の引力が強くて、現在を新しく生きることが困難。
大学生の娘が母の過去に気づき、最後のリールがなくなった母の出演作を、新しい物語でつむぐ。
 

監督インタビュー記事
http://www.cinemajournal.net/special/2016/t-p/index.html

映画の1つの特性は、マイノリティがマジョリティに対して反骨の持てる文化でもあります。

映画は、芸術とは違い、権力者やお金持ちのみの所有物ではない、弱気者と寄り添ってきた歴史もあります。

映写技師はこの時代を生き抜いた人。彼の役というのはお兄さんをポル・ポト派に売ってしまった人。あの時代を語りたくない上に、ある意味悪役を演じなくてはならないということで、大事な役だけどなかなかその役を演じてくれる人がいなかったんです。生きてはいるけど、魂は死んでいるという難しい役柄です。一般のカンボジアの人は過去をなかったことにして生きているのに、過去にしがみついているというキャラクターで、今のカンボジアに生きている人とは逆のキャラクターです。

女優だった母、最後には経験を昇華させていたようにみえた。
消化でもある。
消火でも、あるかも。
そのためには、一度燃やしてしまえ

 

ここからは個人的燃焼の日記。

1月半ばに感じていたこと。
体力が落ちている。通勤で一万歩歩くけどたりないようだ。体が硬いし重い。ヨガや瞑想が必要と分かっているが、だらだらに負けている。まぁそれはそれで、、、そういうときはそういうとき。
甘いものがほしくなる症候群。
夜中にネットの海を漂いすぎて寝不足。
で。

2017を中心としたもやもやをある方に聞いてもらった。問をもらった。
頑張らないと自分を責めがちなのは、頑張らないとどうなるのが怖いのかな?
生活できなくなること、のようだ。
生活できなくなったらとうするかな?
自給自足?物価の安い国に移住?(稼がないでビザとれるか問題はあるかもだけど)

話すと、何か変化が起こる。
それを観察してね。


1月映画を見ることができた。わーい。
そして、ある夜、
黒のようなチャコールグレーのような、短いしっぽの猫が家に入り込んだ。
追いかけて2階までするり。
ゆるり、しばし抱っこして、バイバイした。
温めにきてくれてありがとね。