Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

問われるべきはマジョリティ、、それだけでいい?

問われるべきはマジョリティだ、
と思っていたけど、
それだけでもないのかもしれない。

ソーシャルワーカーの交流会で、
発達障がいの方と知り合った。

(詳しい名前は聞いていない)

 

●生きるために、できることを打ち出す
週5で一緒に働いてて、
フォローしないといけなかったら、
正直(障がいのない人からしたら)納得できないと思うんですよ。

頑張っても普通の人ができることができない。
コピーができなくて、千枚紙を無駄にした。
宛名がまっすぐに書けなくて斜め上に上がっていってしまう。
でも、海外とスカイプで交流会したりとか。
そういうのができる。

できることを見つけて、増やして、プレゼンできることが、生き延びるために必要なんです。

就労支援してる会社は、受入会社や社会が変わる必要性をアピールする。
それが仕事だしいいと思う。
でも、当事者としては、できること伸ばしていかないと。

なんか、強いな、とおもう。

受け入れているからなのかもしれない。

私も私に与えられたものをもっと大事にしたい。

 

●凸凹が生かされにくいという日本の傾向
正職員はなんでもできなきゃいけないという、日本の環境は違うと思う。
今働いてるところは、できないことがある代わり、できることを頑張ることで、カバーしてる、と見てくれている。

凸凹が学校、仕事環境や、周りの人と合ってれば、支障は出ない。
ただ、普通の人より合わない環境に遭遇する確率が高いんです。

自分の凸凹に合った環境って、

移動してみたり、自分が環境に働きかけてみたり、試行錯誤なのだろう。

合わない確率は高いけど、合うところはある、ということに希望を感じた。

 

●あんてい、、、
正社員じゃなきゃいけないのもどうかなぁと思う、という話をしてたら、
それは体調の安定とも関わる、という視点がもたらされた。

普通の人より予定外の出費が多い。
例えば医療費。
子宮の病気で手術するので30万かかる。
制度のおかげで上限あるのは助かる。
が、普通の人なら異変を感じて病院に行くところで、行かないといけないことに気づかない。お腹が膨らんできたけど、痩せなきゃーと思って病院ではなくヨガに行く、など的はずれなことをしてしまう。

それは、盲点というか、恥ずかしながら知らなかった。

発達のこと、人事に知ってもらうための活動をはじめようとしてるらしい。

もしかしてそうかも、と思う人には、合わない環境で潰れることを防ぐ予備知識として。

私には関係ない、と思ってる人には、教養として。

教養としてって観点、すばらしいな。

社会の一員として知っておこうよ、という。

ほんとに合わなさすぎるところにいると、

著しく自尊心が下がった、と話されていた。

ほんとにね。自分は価値がない人間だって思ってしまうなど、偏った見方になるリスクは誰にでもあるのだと思う。

 

●凛としてリアリスティック
現実的で、糾弾しない姿勢がかっこよかった。
自分(たち)の状況はこうで、社会の中で生きてるとこういうことが起こる、という内容を具体的に客観的に描写できていて、すごく聡明な人と感じた。
いろいろと苦労された中で培われてきたフラットさ、大人さなのかなと思う。

そんな方と出会えて、やはり私は運がいいのだなと思った。

 

Thank you for reading :)