4.15 ながい一日。
前日にインタビューした人の書類を出しに大使館に行った
紙に落としたら案外インタビューの内容が短かったというのは悪い予感があたっていて、
だいじな項目がいっこまるまるぬけてた←
*認知に至る経緯をかかないとあかんのやけど
他のケースの記憶とまざってこのケースは認知してないから認知の経緯はいらんと思いこんでいた。
でも考えてみたら国籍取得の書類で婚外子なので認知なしだったら国籍取れるわけがない…
前日の夜にボスにインタビューのまとめをおくって、
この日の朝にフィードバックのコメントのファイルをうけとってたのだけど、
朝にPCひらいてないからみれてなくて、
クライアントさんきてから追加質問をチェックしないといけない状況になって
わたわたしてしまった
お昼食べてる間もボスにいろいろと質問してしまい
食べるときは食べる! といわれたw
ピリピリしてあ"ーってなってたら、いかにも日本人って感じやな、とボスのともだち(odiさん)
に言われた。
文書を日本語で仕上げて英語版つくってから大使館に行くのだが
何時に大使館いく?とクライアントさんに聞かれ、
何時がいいですかね、とボスに聞いてしまい、
翻訳にどれくらい時間かかるか自分でスケジュール組みなさい。
クライアントは待ってるんだから今の状況をちゃんと説明してーといわれ、
そらそうやなーと。
クライアントのいる前で追記箇所をチェックしないといけなくなった時点で
うげーってなってしまっていた
(けど私以外だれもクライアントの目の前でチェックしてるっていう状況を気にしてなかったw
そこでナーバスになる必要はたぶんなかった)
ぎりぎりに提出書類をしあげて
(でもなんかまにあったらよし、リラックスしてやろうーってかんじ。こっちは)
(あとボスに最終チェック頼もうとしたらIt's your responsibilityとかいわれてチェックなしだった。
自立しろ自分とおもった)
大使館に行って、
ついに国籍取るんやなー!と思ってたら
なんか4月から審査が厳しくなった関係で受理されなかった
お母さんも子どもも同伴しなかんからわざわざ大使館にきてたのに。。
受理されないと思ってなかったのでかなりショックだった
たぶんクライアントのほうが落ち着いてたと思う←
ちなみにこのケースはちょっとややこしくて、法律が変わった関係で2012年の12月までに書類をださないと
それ以後は申請できない。でもお母さん2年くらい出稼ぎ行くので帰ってこれんやんと思い、
受理されなかった時点で私は死に至る病を宣告されたような気分だった
けどお母さんはおちついてて出稼ぎ中にまた戻ってくるように交渉してみると言っていた
日本の(法律の)排他性みたいなものも感じた
'日本は血統主義ですから'
クライアントは月曜から出稼ぎにいっちゃうので、
なんか親子の想いで的なものをとおもって写真立てをプレゼントした
そしたらクライアントはその場で彼女のリップスティックをくれました
なんか、もらったらあげるのがルールみたいだ。
来て1週間のインターンだろうが10年以上こっちで働いている人だろうが
クライアントには関係がなくて
NGOは即戦力と新しい風をもとめてるんだよ
みたいなことをボスはいってた
学生が経験を積むっていう側面ももちろん大きいのかなと思うけど
まがりなりに失敗もしながら必要なしごとをやることと
プロトタイプをいろいろだしてみることが
学生というアクターの役割なんかな
とかちょっとえらそうにおもった。
そんなことを考えつつも、
自分の中によろしくない甘えが抜けきらずにある気がする。。
受理されないケースはふつうにあるらしい
このケースはまだ救いようがあるのでよかったです。
最近しごとの関係の人以外とあんまりはなしてなくて
なんか狭くなってきてる気がする。
意識を外にむけようー