Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

「沈没家族」を見た。 家族からの卒業?

「沈没家族」を見た。


東中野、共同保育で育った監督、加納土(つち)さんが、
生みの母、 父と共同保育人たちにインタビューを取ったドキュメンタリー。


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「家族」って自分の中では、ついつい、 ぐるぐる考えるテーマではあるんだけど、
結局、あんまり考えすぎなくても、どう転んでもいいんやない? と思える映画だった。

 

「家族とはなんだろう?」「多様な家族のかたちとは?」 ということは、10代の頃から、考えることがちらほら。


大学で家族社会学に出会い、日本/マニラに住んでいる間は、 実家かシェア暮らし。(マニラを含めると全4件。内見含めると、 15くらいは見ている。)当初は、シェアメイトは家族的関係性となりうるのか? という問いもシェア暮らしの動機としてあった。
『他人と暮らす若者たち』久保田 裕之  (著)なんかも面白かったり。(このところは、 家具を買わなくていいシンプルさの方が大きいが)


いろんな大人に出会うほうが、 子どもにとっても生みの親にとってもよかろう、ということは、 なんとなく感じていて、 それを経験した子自身が監督ということで、 どんなふうに捉えてるんだろう? 共同保育人はどう感じたんだろう?血縁家族は? と興味津々で見た。

 

土さんは、ころっと穏やかな雰囲気で、 保育人から土くんって呼ばれてるのだけど、 こっちも勝手に土くんって呼びたくなる感じ。


共同保育になった経緯は、生みの母、穂子(ホコ)さんと、 血の繋がった父(山くん)との関係性が、 土くんが生まれた頃から折り合いが悪く、 ホコさんは専門学校に行きたかったので、 昼間見てくれる人が必要、それで共同保育をやってみた、という。

 

希望があったのは、土くんや、もう一人、 共同保育の中を経験して育った子が、「 うちらの環境よかったよね、いい感じに育ったよね」、 と振り返っていたこと。


母親に怒られても誰かが慰めてくれるし、 一人で何かを抱え込むっていうことがなかった」と、 雑誌のインタビューでも土くんが語っていた。


ホコさんいわく、「子どもがほしかったわけではないけど、 たまたま生まれた
土くんはエンディングで、「 たまたま僕を産んでくれてありがとう」「 たまたま出会った沈没のみんな、 のびのびと育ててくれてありがとう」とつぶやいていて、泣ける。


そう、たまたま、なんよね~。

そんなに気張らなくていいのかもしれない。
「家族とはなんぞや?」という問いに正解はないけど、 定義できなくてよくて、

それより大事なのは、「生まれてきてよかった」「 この人と出会えてよかった」と思える瞬間があること、なのかな、 と思った。

 

インタビュー中のホコさん&土くん、山くん& 土くんの映像がそのまま使われているのだけど、 なんともいえない、ぎこちない目線、まばたきしながら、 思い切ってずばっと聞いてみている勇気が伝わってきて、 胸がきゅっとなる。
親子というより、人と人、として関わっている感じがして、 すがすがしい。


驚いたのは、共同保育人が20~30代と若くて、 子育て未経験者が多くて、男性が多くて、 働いてる人も働いてない人も混ざってて、 トータル30人ぐらいもいたってこと。
親と共同保育人は違う、というのは、 親も保育人も明確に感じていたようだ。
でも、共通しているのは、親だろうが、保育人だろうが、 子どもの人生に責任は取れないこと。

 

保育人も、「泣きわめくとホコさんを呼ぶ」、 と日記に記している。

山くんは、週1回、家の外で土くんと会っていたそうなんだけど、 「 保育人はやめたかったらやめられるかもしれないけど俺は父親であ ることを逃げられないんだ」というようなことを言っていた。
お客さんみたいに扱われて、「家族」 に入れられなかったからこそ、「家族」 を求めてたのかもしれない。

 

土くんは、小さい頃、山くんの気持ちが分からなかったけど、 最近だんだん分かるようになってきたらしい。
年齢を重ねて、親という人間との関わり方が変化してくることは、 おもしろく、愛おしいと思う。

 

保育人の中には、「自分の子どもを持つのは怖い」、「 沈没で子育てしたから、自分の子どもはいいかな」 という人もいれば、沈没にいた保育人同士で結婚して、 自分たちの子どもを授かった人もいる。
保育人の中の多様性も描かれているのが良かった。

 

土くんがTURNS(Vol.37) でインタビューを受けていて、自分はどんな家族がつくりたい? という問いに対して、「 沈没家族みたいなことをするのはハードル高いと思う。 普通に家族で暮らしてる中に他の大人がくる隙間を作りたい」 と答えていた。

共感するところもあるな、と思いつつ、“ 普通に家族で暮らす”っていう言葉が、土くんでも出てくるんだ、 というところに、(日本の?)家族規範の根深さも感じた。( 意地悪な見方かもしれないが)


一方で、「家族って内と外を強く分ける言葉に感じるんです。 沈没家族は正規メンバーが決まってるわけではなく、 出入り自由な環境。感謝して愛してるけど、 家族という感覚とは違う。」ということも言っていて、やはり、「 “家族”であるかどうか」という問い自体を超えて、 卒業していくのもいいし、どんな関係性の中で生きていても、 名前が付かなくても、それでいいんじゃないかな~、 と思ったのでした。