Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?


みんな、どんなふうに働いて生きてゆくの?
奈良県立情報図書館でのワークショップシリーズ。
奈良の図書館、タラブックスの展示もしてる。すごくアンテナのいい図書館や。

心に染み込んだ言葉の一粒ひとつぶを記録してみたく。


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●友廣裕一さん 地域をつなぐ人
"僕にはスーパーポジティブバイアスがかかってる可能性"
"始める前まではこんな価値を提供するとか言ってるけど、具体的なサービスが始まると、いかに効率的に客を集めるかという話が多くなってしまって。"
*確かにありがちかも。。ゴール、願いの設定をどうするのか。
お金がない方がいちいち人と関わることになる。
それを旅で感じたそうだ。そうだな。ある種物々交換で成り立たせていくからなぁ。

"生まれてきて良かった、と思える人生にしたい。
でも僕にとってそれは、欲しいものが買えるとか、何でも選べるとか、楽をして生きてゆけることではないです。いきているなあと感じられる瞬間を、少しでも多く感じてゆきたいだけのことであって。"
戸惑いが逡巡に見えたり、わからなさが悩みのように映ることもあるかもしれないけど、この生涯で体験したいのは、他でもない自分の人生です。それがどんなに良さそうに見えても、他人の人生を生きたいわけじゃないし、悟りをひらきたいわけでもない。だからきれいな言葉で気持ちよくしたり、よく出来た思考方法で整理してスッキリさせて、むしろ"生きている手応え"から本人を引き離してしまうような働きかけについては、僕はちょっと遠慮したい。」(ここは西村さんの言葉)」
「やりたいのに出来ていないことや、ああ在りたいのにまだそうなれていないことを実現している他人の姿を見ると、私たちは"眩しさ"を感じます。
光の方に目を凝らすのではなく、その光で自分を照らして、手元にある自分の仕事や働き方、そして生き方をあらためてよく見てみる。
インタビューは、いわば灯りだなと思います。光源の質も少しずつ違う。側面にも回り込む柔らかい光だったり。陰影をハッキリさせて形を際立たせるコントラストの強い光であったり。奥の方まで届く、真っ直ぐな光だったり。
書きながら、僕もその光に照らされてみようと思います。」

*ひかり。写真やってた人に、朝方の光や夕刻の光が似合いそうと言われた。サンライズとサンセット?!太陽のマージナルな姿。
東京こそが限界

😉60年みかん一筋もかっこいい
地域とつながる仕事をつむいでいるな
素直だなほんとに、ともひろさん
私も素直にいこ。

😉私がどう生きてきたかという自己紹介もだいじかも
インタビューされたい、高校生に、された。
私も照らされてみよう。
Digital Storytellingも、やってみたい。5分くらいで写真と、ライフヒストリーの音読をまとめた映像。ある意味結婚式でよく流れるやつみたいな。まず、あふれ出る言葉を出し切って、そこから映像に載せていくテーマを選んで作るのだそうだ。

 

向谷地生良さん ソーシャルワーカー 浦河べてるの家理事
非援助論
ソーシャルワーカーの起源は産業革命のときのイギリス。町に工場ができてスラムができた。
本質的にアドボカシーを含んでる。
スラムの人々は生来やる気が無いとか救済の対象ではなく、貧しさを生み出しているのは社会のしくみ。過酷に働かせてポイ。
*日本の移民政策も問われるよね。。
向谷地さんも、土屋さんも社会(学)的視点があるなぁ😇😇😇ナリワイの伊藤さんもそうなんだと思う。構造に異を唱える、異なるアプローチをみせる。

ソーシャルワーカーは綿密な『社会調査』をもとに、産業革命で使い捨てにされてスラム住まいになった、本当はもともと力のある人を再びエンパワーするには?をと様々なキャンペーンを組んでいった。それがイギリスの社会保障制度につながった。


*うちも中間支援組織だからこその見えること、政策提言に必要なことをほんとはちゃんとだしたい、、よりそいホットラインはこのところどうなんだろう。
健康的に働くためにも理論が必要
*非営利系ワーカーの待遇問題も理論のバックアップの弱さから来ているよね、とそういえば前にもアメリカの友人と話した。トロントのカミンズ(バイリンガル教育やマルチリテラシーの人)も、理論と実践の対話が現場の先生のエンパワメントにつながる、と言っている。

生良さんがソーシャルワーカーになったきっかけ
高校の修学旅行を蹴って参加した障害者施設のワークキャンプ
石川正一さん、筋ジストロフィーの若者の詩

"たとえ短い命でも
生きる意味があるとすれば
それはなんだろう
働けぬ体で一生を過ごす人生にも
生きる価値があるとすれば
それはなんなんだろう
もし人間の生きる価値が
社会に役立つことで決まるなら
ぼくたちには生きる価値も権利もない
しかしどんな人間にも
差別なく生きる資格があるのなら
それは何によるのだろうか"

勉強して社会のリスクを避けて避けて避ける生き方をして幸せのパイを掴む
そういう価値観やシステムに自分の望む幸せはあるのか?

苦労するチャンスが必要
福祉疲れるの、巻ごまれて見えないからかね?
悩み方を工夫した。研究テーマができたということだ😁
苦労の醍醐味なぁ
病気のエネルギー

仕事に人生をかけない。
寄りかからない。
生きてゆく活力をその仕事から頂かない。
クライアントに浸食される
あぶない面もある
*ナリワイもそうだけど、お裾分けな感覚が、心地よいとおもう。

 

●隅岡樹里さん 
CAFE MILLET オーナー
自分のことより会場の人が輝く存在になっていくようなお話ができたら。
*こないだ高校生から、はたらく人にインタビューを受けたのだが、それと同じだなぁ。
できたかな。相変わらず拡散しちゃったけど、好きなこと大切にすればいいってのは伝わったな、とお礼状もらって思った。

人に嫌われたり嫌なこと言われても、地球が喜んでいてくれたらいい。
地球を元気にさせたいなら、まず自分を輝かして元気にさせなきゃいけない。
地球は丸い。丸いってつながってる。人間も同じや。
MILLETは雑穀の意味。一粒のパワー、みんなが持ってて、咲かせることができる。

一人だけじゃ想像できない。
今出会ってる人との中でできる素敵な未来を想像させてもらっている

今の自分にできることをやることが、今できていることにつながっている


西村さんの子供の頃は?どんなやったんやろう。


フェアトレード団体 

ネパリバザーロの土屋春代さん
自分の仕事はなんだと思っている?
目指す社会を実現するための一つの手段。
みんなが、生まれてきて良かったと思えるような社会。生まれてきた人が尊厳を保てるような。
社会の仕組みがハンデを大きくしている…
*私も、多様性を尊重して、人と人がエンパワメントしあえる社会、につながる仕事を志向してきてる、と思う。

尊厳を保つとは、、自分を愛すること、信じること。
商品開発と輸入という仕事を通じて得るものは、自信なのだという。
趣味ではなくて仕事になることで、本人にもわからなかった自分が出てくる。人の評価を受け、金銭的な価値で測られもすることで、能力が引き出される。
*評価されることで能力が引き出される、かぁ。
西村さんのここでの質問が秀逸。
でも、他者を喜ばせるために自分を犠牲にしてしまったら。
→自分が犠牲になるとは思わない。他の人に喜んでもらえれば自分も満足できる。
*うーん、それは、すでに自己肯定感あってこそ、な気がする。
ともかく、働けることは社会とつながれて、誰かの役に立ってお金をもらえているということは、たしかに尊厳につながる一つの方法だ。働けなくなったとき、自分は社会にとって要らない存在だ、と感じてなかなかにしんどかったもの。でも、そこで気づけたのは、誰の役に立ってなくても生きてていいのだ、ということでもあった。そのおかげで、調子悪い自分を許すのがちょっと上達した。

 

寄付金を集める活動にはしなかったんですね。
→同情でやるべきことではない気がして。相手もしたたかで利用できる人は利用、甘えられる人には甘えようとする人が多い。同情で接していると吸い取られるばかりだし、相手を弱いものとして上から見る視点も含まれている。お互いに自立を目指していかないと。たまたま自分が生まれ育った環境が、かれらよりできることを多くしている。お互いに持ち寄って生きてゆけたら。
*ほんとにそうやなぁ。フラットにいたいし、共に生きたいのだよね。

ネパリは衣類が充実
服作りは裾野が広い産業。いろんな仕事が生まれるのがいい。😉針一本でできて技術もみにつく。全体に複数の人が関われるといい。
*それってとても『ナリワイ』的だ!

規模を大きくすると丁寧さが失われる。想いをもって仕事ができて、給料払えて、黒字が出せる。みんなで昼ごはんを食べる。元気ないのとか気付けるし、生産者の話も伝えられる。
*私も小さい単位で一緒に働くのが好きだな。インドのときも辞めるとき急拡大してたから辞め時だったのかも。
小さいのがたくさんできるといいよね
マーケット大きくなる。
そう思うと、あのひとがもうやってるし、と思わずに、小さいのを私も作ろう、って思えばいいのかも。😁

 

●ミシマ社 出版人の 三島邦弘さん
毎週席替えをできるだけ大胆に。風景も隣の人も変わる、感覚に新鮮なものを宿せる。

 

江弘毅さん 編集者/編集集団140B総監督
人格的な接触が大切
フランス料理の記事は書きやすい。リヨンで4年修行して、チーズはどこ産のなんとかで、とデータを並べたら書ける。でも大阪のお好み焼き屋やと、普通の小麦粉と塩と味の素と近所の肉屋。関係性でしか書けない。人間を単なる消費者にしちゃったら…
雑誌はだれのもの?
関わる人が多様。との立場として関わるのが私は好きなのかなぁ。
出版社、読者、編集者、カメラマン、ライター、作家、イラストレーター、広告のクライアント、とりつぎ、本屋さん…
*あまり大きくなるより、できるだけ自分の目の届く範囲で手作りしたいな。タラブックスみたく。

"本来、学ぶということ、自分が何をわかってないかもわかってないわけです。その初めの時点で、「何になんねん?」なんて問いを立てていたら、何にもならへん。"
*たしかに…しかし、目標立てることが推奨される。それも必要な観点なのだけど。学ぶ文脈によるのかな。お金もらったりして教育サービスを提供するとなると、効果を視覚化せねばってなる。
共に愉しんで学ぶなら、目的から自由になれるかしら。
目的を持つことが必ず不自由ってわけではないんやけど。そこを排除したいわけではなくて、それがメインになるのが違和感なんやな。
"贈り物は値段外しますやん。値段がむき出しのもんはなんぼ交わしても軋轢になるだけやないですか。"💱
すぐに返さへんで、間をあけるのは、関係を大切にすること。😇
人と人が出遭わなくても回るシステムを作ってきたのがファミレスやコンビニ。
*インドから帰ってきて牛丼チェーンで券買って食べれることにすごい虚しさを覚えたのはここやなぁ。ファミレスでもコンビニでも、温かい接客の人もいるけどね。システム的にはやはり、悲しさがある。


読んでみて。
温度、愛を感じながらはたらきたい、生きたいな、と改めて思った。😍