Just Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法的支援、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、インド&野草ごはん、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。

落ち着きのない自分をゆるしましょう

ヨガの日でした。
ポーズしてて感じたことと、
私は私を生きることしかできないのだと思ったおはなし。

プランク
おーきく吸って、お腹から!お腹からあがる。
片足低いとこで浮かせておーきく吸って、吐いてを繰り返したあと、
足をつけてからもうひとつ大きな呼吸、これが大事。そのあとお休み。

●鳩のポーズ、の簡単途中まで
http://xn--mck8f.jp
腿の表がぴーんとのびるのきもちいい!

●シャバーサナ
頭のてっぺんから、足の指ひとつひとつまで、丁寧に力を抜いていきます。
今日はなんか、お尻とか力入ってたなぁ。

 

ヨガのあと、一緒にチャイを淹れて、
2時間強喋っていた(ヨガより長い。笑)


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今月はなんだか活動的になってきて、
それが怖くもあった。
せっかく燃え尽きたのに、また多動になるのは違うのではないか、もっと落ち着く"べき"ではないか、と。

落ち着かなくてもいいし、執着手放せないこともゆるしたらいいし、
パートナーシップって究極の異文化理解なのだから、無理に折り合わなくてもいいし、動き回っちゃう私だからこそ、飛び回らないけど、行ってらっしゃい&お帰りしてくれる人が真逆でかえっていいかもしれないし。
自分以外みんな宇宙人だもの。
分かり合えないことだって多分にある。
それでいいのだ。


先生が習われている、ヨガ療法の宿題が興味深く。
印象に残っている、周りの人の死は?
人生の目的を生徒さんに聞かれたらなんと答える?
周りの人の行動に違和感があったエピソードは?
(バックグラウンドとなる寓話:あるところにふたりの僧侶がいた。若い女性が倒れているのをみて、僧侶Aは、僧侶のような高貴な身分の者が女性に触れてはいけないとして、助けなかった。僧侶Bは彼女を抱きかかえ運んだ。助けた僧侶AはBが間違っていると責めた。Aは、「私はもう彼女を手放しました。あなたはまだ彼女を助けているのですね」と言った。自分のこだわりにひっかかることを他人がやってのけていて気になることに気づくと、その束縛から離れるきっかけになる、という話。)

落ち着いて定住して家族を形成している人をすごいな、えらいな、そうすべきかな、憧れなくもないな、でもなんかー、と思わなくもない。
多分また流れに乗るしかないのでしょう。まだしばらくはあそんでるのでしょう。
落ち着かないこともおっけー、というのが、ほっとするのでした。