ヴィパッサナーのあと4泊コルカタで過ごした。
コルカタ& ヴィパッサナーの前は、
数ヶ月、朝の目覚めがひどい日が週3ほどあった。
目は覚めてるけど、身体は動かなくて、
一日始まってしまったのが絶望的というか。
また生きなければならないのが苦痛、みたいな気分に襲われて、しばらく横たわることしかできない、という。
コルカタ後は、そこまでひどいのがなくなってきた。
○街の印象
デリーを昭和にしたみたい。
クルタの模様がデリーの方がモダンでおしゃれなのに対して、コルカタはちょっと古い感じ。
チャンドニーチョークやラージパットナガルに似たエリアもあり、デリーが想起される。
オールドデリー的なエリアにナコダマスジッド。この雰囲気が、混沌としてる中に静寂なモスクがあって落ち着く。
ゴリアハットはラージパットナガルに似ていた。
ゲストハウスのスタッフは、ゴリアハットは自由が丘と呼んでいた。
そこまでおしゃれかな、、笑
チャイ&スイーツ屋さんが多い印象。
ベンガリスイーツ、というだけあるのかな。
ムスリムが多いらしい。30%がバングラ人だとタクシーの運ちゃんが言ってた。ほんとかね。たしかに近いけど。
○実はガンジス河が通ってる
名前はフーグリー河に変わっている。
バラナシより下流なので、相当汚いと思う。
が、やはり人々は洗濯し、風呂を浴びる。
バスでハウラー橋の近くのフラワーマーケットへ行った。
そこからガートにつながっている。
フラワーマーケットは本当に両側、花だらけ!
ガートで河に足浸りながら、夕日に見守られながら、叫んだ。
河、どろどろで、色んなもの落ちてるかんじだったけど、
その方が自分の心の膿も吸い取ってくれる気がした。
いやだったこと、嫌いだー!とか
あほー! とか
心のもやもやを吐き放題吐いた。
これ日本じゃできんなぁと思いつつ。
自分に優しくしてやれてなくてごめんね、
っていうのも出てきた。
お腹すいて、ロール食べて、ゲストハウス帰って爆睡。
一日だけボランティアに行った。
命ってなんだろうとか。
愛するってなんだろうとか。
ゲストハウスにあった、マザー関連の本で響いた言葉:
#神さまは心の傷を少しずつ癒してくださいます
#痛いときは無理に相手をゆるさず、祈りながら待つことを覚えましょう
#自分との和解は一生の課題
#思ったとおりにならない自分自身や相手をゆるす
#話をしっかり聴こうとする態度は、あなたは私にとって大切な人だというメッセージ。それがいちばん必要。
ボランティア登録のとき、
バッジにキスをして渡してくれるシスターを見て、
ひとつひとつの小さな行動に愛は込められるのだなと思った。
知的/精神/身体の複合的な障がいとともに生きている女性たちの施設、Shanti Danに行った。
有名な死を待つ人の家もそうだけど、
意外と普通の街中にあるというか、
隔離はされていない印象を受けた。
これでいいのか?とか
それでもここがあるから生きていけるのも事実か。。とか。
複雑な気持ちになった。
かれらの人生ってなんだろう、幸せってなんだろう、と勝手に思ったり。
かれらもわたしも平等で
それぞれの人生を受け入れてくしかないのかな。
毎日各国からくるたくさんの人に会ってる生活ってのも、考えてみたらすごい。
毎日まいにち出会いと別れだ。
衛生面は気になったが、暮らしている人たち自身は、日本で同じような障がいと共にある方たちと変わらないと思った。
朝、洗濯を手伝い、
利用者さん(と言えばいいのだろうか)と接し、
昼ごはんの手伝いをして、解散。
インド人のローカルスタッフ(マーシーと呼ばれていた)と一緒にはたらく。
両手でやっと持てるくらいのタライに何杯の洗濯物があっただろう。20杯くらいかな。
洗濯機はないので、浴槽みたいなところでマーシーが足で踏み踏みし、流し、
ボランティアsが干しにいく。
パンツ、コンクリの床に並べてほしていた。
汚れが取れてないのもあって、気になってきいたけど、そのままで大丈夫、と。。
服やパンツ、破れのあるものも。
みんなで着回ししていた。
肉体労働で、シンデレラみたい(?)
洗濯が終わったら、
利用者さんが5人ほどの部屋に、ボラ2人、マーシー2人で入る。
お話するのが難しい方がほとんど。
数字を書く宿題をしてたり、
横になってたり。
マーシーはほとんど英語が話せない。
(その教育レベルの人が働いてる)
利用者さんも、英語が理解できていないと思われた。
ヒンディで名前をきいたら、
指で机にがんばって書いて伝えようとしてくれて、胸があつくなった。
ごはんはみんなで集まって食べる。
キチュリ(お粥)とレバーの炒め物みたいなのだった。
自分で食べれる方と介助がいる方の区別がつかん。。
食べれる方も、時間内に終わるように、
マーシーが介助している場面も見られた。
マーシーは介護のプロではなくって、
経験でなんとか回してるようだった。
Shanti Danへのボランティアは15人ほどいて、
アジア人は私だけだった。
スペイン、イギリス、フランスなどから。
ビジネスを学んでいる学生や、
もう3、4回きているという方や。
スペイン&フランスメンバーは、
カトリック信仰が訪問のモチベーションになっている人が多いようで、
ボランティアの時間以外のミサやadrationへの参加も積極的だった。
ほかの施設に行った人は中国、韓国、マレーシアなどからも。
ゲストハウスに、コルカタ出身、フランス在住でボランティアにきてる人がいた。
かのじょはマザーの孤児の家に1歳までいて、フランス人夫妻に養子として迎えられ、フランスで育ったのだという。
7歳頃にはその経緯を両親から聞いたそうだ。そんな幼いうちに、と思いつつ、肌の色で気づくから、きちんと説明を受けられてよかったのかも。
今まで感じてきたこと、もっとききたいような、きいていいのか分からないよう気持ちになった。
フィリピンでJapanese Filipino の子たちと接していたときも、同じ葛藤があった。
本当は誰かにきいてほしい、理解、共感されたい、という想いは、きっとあるのだろう。
○カーリー寺院
コルカタといえばカーリー神。
血を飲む獰猛な女神。
カーリー寺院では午前に生贄となる黒ヤギの頭を斧で切り落とす儀式をやってる。
訪れた日がちょうどKali Pooja の日で、めちゃ並んでいた。
山羊肉は、貧しい人に配給するらしい。
ヤギは意外とおとなしく、しかし、ないていた。悟っているのか、何も知らないのか。。
ヤギの鮮血が、参拝者の額にも容赦なく塗られる。
失神しそうだった。
ああ。でも私、生命をもらって生きてる、とも思った。
○ゲストハウスのひと
7年コルカタやプリーに住んでいるという日本人のおっちゃんがとても好きになった。
なんか自由で、博識でいて、押し付けがましくないのだ。
メイン住所がプリで、ビザの更新もプリでやってるらしい。
外国人が20人くらいしかいなくてゆるゆるらしい。
デリーでは書類足りないとか、担当役人の機嫌が悪いとかで出直しする事もあって大変やったのに、、いいなぁ田舎。。
ギターつくったりオート輸出したり楽しそうだった。
あくせく働かず生活を楽しめるって才能かも。
なんか、働いてストレスをある程度受けることで、代わりにやっと休みをありがたがれる、みたいなとこ、ないですか?
○カフェ
コルカタにもカフェが!
(っていうと失礼か。。)
8th day coffee.グーグルマップでもでる。
若手アーティストの作品を展示販売していた。
メヘンディの模様と写実的なお花や擬人化された自然の神さまが融合していて繊細で美しい。
コーヒー、自家焙煎らしい。
酸味が強くてちょっと苦手な味だったけど、
味わうという行為自体が癒しをもたらすことも身体が感じる。
キッシュがおいしい!キッシュ作ってみたい。
○交通
人力車が唯一残っている街。
97年に新規ライセンス発行を止めたので、いまいるおじちゃんが最後の世代。
国際的な人権擁護機関から指摘されたためらしい。
サイクルリキシャもいる。かわいい。
バスとタクシーが多い。
観光スポットも、バスでいけるよーとゲストハウスの人に言われる。デリーでは数回しか乗ってない。地元の詳しい人じゃないとわからんよなぁ。
タクシーは黄色で丸っこくてかわいい。
ウーバーもOlaもあるけど今のところ流しのタクシーの方が多い印象。
(デリーでは流しのタクシー全然使わなかったが。)
州が守ってるのかな。また割合変わっていきそう。
大通りだとオードリキシャが走ってなくて不便に感じた。
はて。何も絞らず、だだーっと書いたから長くなった。
コルカタ、行ってよかったよ。ありがと。