最終報告を仕上げていくにあたってのミーティング
というかSV、だった。
・余白が大事(詰めつめだとメモれないし。読み手が考える余地を失う
・中央寄せ気味
・図どうしも寄せる。離れると間延びする
・図はシンプルに。矢印が多いと分かりにくい。
ステークホルダー多いなら、どこか簡略化できないか?まとめちゃったり。
・適度に字が小さいほうが賢そうにみえる
・図ひとつ、メッセージひとつが一番シンプルでよい
・情報がない、ということ自体も情報。空欄を恐れない。
写真の構成とも、似てるんだろうな。
写真上手になりたい。
2回目の内部ミーティングは
最終報告資料のイメージが前日メールできてて
何か思ったことや疑問はある?
と、問われるところから、はじまった。
そうだ、いつも、問われるのだった。
自分の意見、、
イメージ沸きづらいところとか、
ここはこうしたらとか、
少し言ったけど
(イメージをもらって、部分的にちょとつくってみてたので、多少は浮かんだ)
もっと本質的なというか、付加価値のある意見が言えるようにならないと。。
翻訳もそうかも。頼まれた資料を翻訳するのがベースの仕事ではあるけど、
+アルファの改善点とかもいえるといいな。
わくわく考えながら仕事したい。もっと肌触りがほしい。
資料の全体像を、紙芝居広げたみたいに、1枚ずつホワイトボードにざざーっと描いちゃうの、
一覧性があって素敵だ。
卒論の構成考える時どうしてたっけ。
最初はふせんにばばばばーって書いて、並べ替えたりしてたかな。
文字が多かったが。今はもう少し図が多い。
絵を描くのだ。
そう思うと経理も思ってるよりアーティスティックな仕事かも。
何を言うか、どうして言うか。
サンプル少なくても、演繹的にというか、
理由が筋道立てていえるなら、一般的に言っちゃう。
言わないと意味がないのだろうな。
何がいえそうかって、全部案を、スーパーバイザーの口から出させてしまったが、
中身はふつうに(?)納得だった。
何がいえるかの切り口(彼らはやるのか、やらないのか、なぜなのか、やるならどういう技術使うのか?)
を示せるかどうかの違いかな、と感じた。