Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法律、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。 フィリピンのダグダガイという竹の棒とココナッツオイルを使うフットセラピーが大好きでマニラまで習いにゆき、ひっそり身近なひとに好評です:)要らないものがごっそり削ぎ落とされ、ぐぐっと押しポイントに届く感じがたまりません^^

何がしたいの?と集団主義

 

私は今何してるんだろう?

何がしたい?いま何してる?という問いはときに酷。

それが自分としてわかってるようなわかってないような。

 

仕事やめた人にはなにしてるの?

仕事やめようとしてる人にはなにしたいの?

ってきいてしまう人、多いと思う

質問している人は、さしせまって変更予定のない自分の既存の役割をこなしていることが多いようにおもわれる。

自分自身に対してはなにしたいの?って問うていなかったり、問うのを避けていたりする場合が多いようにも思う

 

いつもそれを問うていてはうごけないだろうし、いいんだろうけど

過渡期に身をおくことがしんどい感じもする

それって、個でいることが居づらい感覚にもつながっている気がする

どこどこの組織ではたらいてます、とか、あるいはフリーで仕事しているとしても、どこどこがお客さんで、ってなにかしら、定義みたいなのもとめられてしまうというか。

 

以前アメリカ人の友だちとはなしてて、

日本で友だちつくるには「○○の友だち」っていうのが強く求められる気がする、と言ってた

登山サークルのともだち、英語の勉強会の友だち、働いてる業界の友だち、とか

パーティ知り合った、だけじゃ、たりなくて、”何の”パーティ?”何してる人が来る”パーティ?ってきかれる。

集団ベース感が強いのかなぁ。

人と出会うきっかけはなにかの集団・コミュニティで、「○○の友だち」からはじまっても、関係性が深まるにつれて、その人のほかの面にひかれていくこともあるとは思うけど。

 

型にはまると関連して

たとえば仕事さがすとして、エージェントはべんりだけど、

既存の枠に自分をあわせていかないといけなくてきもちがわるい。型にはまった志望動機はいらないっていうのは本当なんだろうか。型にはまった求人だしてませんか?

こんなこと考えてしまう感覚自体がわりきれてなくて子どもなのかなとも感じてしまう。

新卒の就活のとき、けっきょく最後に残ったのって、就活サイトでみつけたところのほうが少なかった。本でたまたま読んだり、新聞とか他の情報源からみつけたところだったなぁ。

新しいことやろうとするときに、そのリスクやデメリットを確認したい気持ちが強くなっている。それだけ慎重なのはそれだけ真剣ってことかなぁ。

しばし、もやもやが続くことを、こころよく自分にゆるしたい今日この頃。