Living Diversity

マニラでのソーシャルワークとの出会い記録から、日本のソーシャルワーク×多文化/法律、インドで暮らし、働き、旅するカラフルさ、身体を解すこと、レジリエンス/回復についての試行錯誤を記録したく。 私もあなたも、ゆるく受けいれて生きていけるといいなと祈りながら。 フィリピンのダグダガイという竹の棒とココナッツオイルを使うフットセラピーが大好きでマニラまで習いにゆき、ひっそり身近なひとに好評です:)要らないものがごっそり削ぎ落とされ、ぐぐっと押しポイントに届く感じがたまりません^^

福祉、という言葉・概念について

ある方が、福祉っていうとひいてしまう、という話をされていた。
あんまり、クライアントさんのためにとか、考えないでいいよ、と前に言っていた方。
個人的には、その方を見ている限り、すごく優しいし思いやりがある人だと思うのだけれど。
しんどくなっている人に接すると、エネルギーが吸い取られるっておっしゃってた。
たぶん、やさしいんだと思う。

福祉とか、ボランティアとかに関して、時々、昔から思うことがある。
ボランティアとかNPOとかに関心が低い人からみると、
ボランティアしたりNPOで活動してる人って、
「いいひと」「余裕がある」みたいなふうに見えるんだなって感じる。
”えらいね〜”とか”すごいね〜”とか、言う人いるし。

でも、じつはボランティアとかしてる人より(?)
ボランティアとかNPOとかに関心が低い人、お金ほしいって言う人、のほうが、
身近な人に親切だったり、おもいやりがあったりするのではないかと思うことがある。
一般的に、相対的にそういえるのかわからないけど、
感覚ベースで、慈善とか興味ないっていう人に案外(?)優しい人が多い気がするのだ。

その理由を推測するに、
たぶんそういう人のほうが、満たされて生きてきているんじゃないかと。
育った環境的な意味で。
一方で、ボランティアとかNPOとかに関心のある人って、
実は自分が助けてもらいたかったり、癒されたいっていうニーズが自身の中にあるんじゃないかと思う。
だから本当は実は幼いころ余裕のなかった満たされなかったものが、
ボランティアとかの原動力になっているんじゃないかなと思ったりする。
援助職にACが多いのと関連するけど。
なんだかんだ、当事者性がある人が困っている当事者を助ける位置を好みやすいのかなー。
それで、社会問題に注目するけど、実は目の前の人間関係において
気を配ったり、優しくしたりするのが意識しないと苦手なケースもあるんではないかと。
私もけっこう自己中だし。なかなかなおってないし。。orz
気を遣えてないなって、あああって思うことがたびたびある。
仕事始める前も、利用者さんに事務的に対応してしまうようになることがこわかったけど、
今ほかの人より事務的、余裕のない対応になってんじゃないかって感じる瞬間さえある。

わたし自身も福祉っていう言葉はあんまーり好きではないのね。
福祉が好きじゃないっていうより、福祉に関心がない人が福祉ということばを聞いたときの距離感が好きじゃないから福祉が好きじゃないんだけど。笑
結局当事者性がないと関心がつながらないのかなって思うとそれも寂しいし。
アートとかとむすびつけて、ポップに、ファッショナブルに?みせるのも一手なんかなー。
カフェみたいな、障碍者と地域のつながる場作りとかのような。
それともうひとつが、援助職、福祉的な仕事についている人が、
(全員じゃないけど)身近なところでいかに他者とおだやかに心配りあえるか
これはどっちかっていうと他人どうこうじゃなくて自分の課題なんだろうけど。
自分を満たすこと、それも大事だけど、
じぶんがいま余裕ないってずっと言い訳しててもなんだし。
多少余裕なくても、他の人てつだうことで自分の余裕につなげられたらいいんだけど。
情けは人のためならず、だしなぁ。

ひとまず、ぐだぐだだけどこんなところで。